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丸山観音堂 [堂々巡り]

今日、小山市に用が有って出かけましたが、思川の大光寺橋を渡り、花見ケ丘を回って行きました。
小金井街道(県道44号線)を走るのは久しぶりです。瓦葺の重厚な校舎国府南小を過ぎると、田村町に入ります。前方に背の高い銀杏の木が迫ってきます。すでに黄葉も終わって、多くが落葉しています。
道路脇に、栃木市ふれあいバスの停留所が有り、「ぎんなん山」と表示されています。この大銀杏は星宮神社の境内に有り、小金井街道の一つのシンボルの様な存在です。
丸山観音堂7.jpg丸山観音堂6.jpg
(田村町の星宮神社の大銀杏と石の鳥居)
この大銀杏の場所から、道路を跨いだ南側の小高い小丘の上に小さな堂宇が一つ建っています。
丸山観音堂1.jpg
(星宮神社から丸山観音堂を望む)
丸山観音堂2.jpg
(南側より道路左手、丸山観音堂を望む。右奥の大銀杏が星宮神社となる。)
一間半四面宝形型向拝付の瓦葺の屋根を載せています。堂宇の正面は南東方向を向いて、正面入口の上に「丸山聖観世音菩薩」と記した扁額が掲げられています。
丸山観音堂3.jpg丸山観音堂4.jpg
(小さいながら均整の有る丸山観音堂と正面に掲げられた扁額)
観音堂が建つのは、丸山古墳と言う墳丘の上です。ここから更に東に進むと大光寺町に入り、思川に架かる橋を渡ると、下野市に成ります。
この思川を渡った、思川の左岸には、小山市喜沢にて日光街道から分かれ、壬生から鹿沼を通って日光に至る、日光西街道(県道18号線)が通っていますが、その街道の道筋に数えきれないほど多くの古墳が分布しています。
その中には国指定史跡になっている「摩利支天塚古墳」や「琵琶塚古墳」「吾妻古墳」などの大きな前方後円墳のほか、円墳など大小さまざまな古墳が確認をされています。
それに対して、思川の右岸はこの丸山古墳の他、1、2ヶ所しか確認されていないのです。
観音堂が墳丘上に建つ丸山古墳は円墳で規模は墳丘の径が約32m、高さは約2.5mに成ります。
尚、先ほどの北側にある星宮神社の境内には、古墳の石室の一部に使われたと伝えられる方形の凝灰岩の巨石が無造作に置かれています。
丸山観音堂5.jpg
(星宮神社の境内の東の端に有る巨石)
このような大きな石を誰がどのような経緯でここに運んで来たのか謎ですが、東武宇都宮線野州大塚駅の南西方向約0.8kmの場所に有る「岩屋古墳」の物と云われてます。岩屋古墳の玄室は、同様の凝灰岩の大きな一枚岩を組み合わせた横穴式石室となっています。が、岩屋古墳は、ここ丸山古墳からは北西方向に直線距離にて2.3kmも離れています。
この謎を解くのも楽しいかもしれません。
※写真は全て、2013年10月11日に撮影をしたものです。

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