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永野川に架かる「二杉橋」 [栃木市の河川と橋]

栃木の市街地から太平山の参道に向かう、県道269号線(太平山公園線)が、永野川を渡る場所に架かっているのが、「二杉橋」です。
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(二杉橋、西橋詰に建てられた太平山神社の大鳥居、背景に太平山を望む)
「二杉橋」については、昭和53年に栃木県文化協会発行の「栃木の街道」の中に、その名前の由来が記されています。「日光例幣使街道」の六、「栃木界隈」に二本杉川と題し、≪富田宿の木戸を出ると下皆川(大平町)である。往還は下皆川の東縁部を14町ほどして川連村(大平町)に至るのであるが、下皆川地内を幅10間余の永野川が流れており、 -中略- 永野川は江戸時代この辺りでは二本杉川と呼んでいた。この上流の片柳村と平井村の境に二本の杉の大木が有り、そこには二本杉神社が祭られていた。今は二杉神社となっており、栃木市から太平山の表参道へ通ずる街道の橋が架かり、二杉橋と呼んでいるが、それから出た名称である。≫と。
二杉橋7.jpg
(二杉橋を下流側右岸より望む。右側の杉木立の中に二杉神社が祀られています。)
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(二杉神社社殿)                       (鳥居に掲げられた「二杉社」の神額)
現在架かっている橋は、昭和60年(1985)3月竣工、橋の東方県道沿いに竣工記念碑が建てられています。
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(二杉橋の橋桁に設置された橋銘板)         (県道沿いに建つ竣工記念碑)
永野川のこの場所には江戸時代の後期、初めて橋が架けられたと云われています。架橋に尽力した人物は、安政五年(1858)太平山内の法泉院(後に三光院と改称)に居住した名僧「慈雲律師」でした。慈雲律師は越前國(福井県)の人、安政の初期に林大学頭の元に有ったが、その後北白川宮門跡の日光律院に移っています。栃木の太平山内に来住してからは、病苦を救い、窮民に恵み、救世済民に力を尽くしていたと云います。
その徳を讃えその当時はこの橋は「律僧橋」と呼ばれていました。現在も県立太平山自然の家の東側に「慈雲律師の墓」が有ります。
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(「史蹟 慈雲律僧之墓 入口」と刻した石碑) (木立の中にひっそりと建つ慈雲律師の墓)

二杉橋6.jpg
(現在の橋に架け替え前の二杉橋。西橋詰の鳥居も以前は小さかった。)




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SIBA-dog

初めましてよろしくお願いします。地元市内に住んでいますソネブロガーです。栃木市の成田山を検索したら、地元の方とは驚きました。
パワーを感じるお寺でしたね。二杉橋は国学院への通学道として
よく通りましたね。架け替え前の橋でしたね。当時はバス通学が
多く自転車通学者にとってはヒヤヒヤでしたよ。あの坂道は
変わらないですね。帰りは爽快でしたね(^^ゞ

by SIBA-dog (2016-02-16 11:02) 

一味

始めまして、こちらこそ宜しくお願い致します。私、生まれてかずーっと、栃木に籍を置いていますが、知らない事ばかりで、今、街の中をウォーキングしながら見て歩いています。歩いていると、意外な発見も有ります。今まで通った事の無い路地など、良く行き止まりで戻る事も多いですが。最近街の中がドンドン空き地に変わって行くのが寂しいですが!
by 一味 (2016-02-17 09:19) 

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