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天明元年創業の油伝味噌店 [建物]

栃木市の市街地北側に、通称「嘉右衛門町通り」と呼ばれる通りが、ゆるやかなカーブを繰り返して、南北に通っています。
通りの南側の入口は、大通りに有る万町交番前交差点から、西に50メートル程入った所で、北方向に2本の通りが有りますが、その左側の通りが「嘉右衛門町通り」になります。この入口から北に進んで、東武日光線新栃木駅前から西に通る道路との交差点までの、約750メートルの通りを中心とした区域が、平成24年(2012)7月9日に、栃木県内で最初の「重要伝統的建造物群保存地区」となりました。
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(万町交番前交差点北西部角のポケットパークに建てられた重伝建群保存地区の案内板)
この地区の中心となっている「嘉右衛門町通り」は、旧日光例幣使街道に当たり、江戸時代に朝廷から毎年日光東照宮へ幣帛を奉納する為の勅使が通った街道筋で、翌年の正保4年(1647)から慶応3年(1867)までの221年間、例幣使は1回の中止も無く継続されました。
そんな例幣使街道に面した場所に、天明年間(1781~1788)創業の「油伝(あぶでん)味噌」店は有ります。
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(油伝味噌さんを北東方向から撮影。手前の通りが「嘉右衛門町通り」になります。)
お店の案内書に依りますと、≪古くは江戸、天明年間 初代油屋伝兵衛は此の地に油屋を創業しました。その後三代目伝兵衛は、油・質業と共に味噌の醸造を始めました。≫そして≪屋号は油屋の油と、伝兵衛の伝をとって「油伝(あぶでん)」と名乗り≫と、記されています。
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(案内書の表紙)        (明治23年大日本博覧図栃木県之部に載った店舗鳥瞰図)
この「油伝味噌」さんの通りに面した店舗やその裏に続く土蔵などは、国登録有形文化財となっています。
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(門を潜った所から敷地の奥方向を撮影)           (登録有形文化財のプレート)
私はこれまで幾度となく、通りから望む建物の外観の撮影をしていますが、今回初めてお店の中に入りました。
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(通りに面した店舗前に吊られた暖簾。創業天明元年と見える)    (会社の門札)
「油伝味噌株式会社」の門札がかかる門の中に入ると右手の建物が事務所、左手の建物が御休処になっています。御休処の中には、6人掛けのテーブルや小上がりが有り、横に風情のある坪庭が有ります。お勧めの味噌田楽を頂く事にします。皿の上に串に刺さった、豆腐と里芋そしてこんにゃくの三種、それぞれ異なった味噌を付けた、味噌田楽の盛り合わせです。
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(味噌田楽の店内)                      (味噌田楽三種盛り合わせ)
お店の御主人が居られたので、例幣使街道の話や、建物の話など色々と伺う事が出来ました。
私が最近気になっていたのは、今、栃木市内の煙突の有る風景を撮影していますが、国土地理院発行の2万5千分1地形図を見ると、ここ「油伝味噌」さんの工場辺りに煙突の地図記号が記されています。1989年に撮影した写真には確かに、「油伝味噌」さんの土蔵群の屋根の向こうに高くそびえる煙突が写っていました。
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(1989年撮影、油伝味噌さんの土蔵群の奥に見えた煙突。今はもう有りません)
その煙突について伺った所、5年前平成23年3月11日に発生した、東日本大震災で被災、煙突にヒビが入って危険になった事から、その年の秋に解体撤去をしたとの事でした。
その後、中庭や建物の周囲を散策しました。
中庭に「明治23年大日本博覧図栃木県之部」銅板で造られた「油伝味噌」さんの店舗の鳥瞰図の写真が掲示されていましたが、その図に描かれた土蔵や井戸などが、そのまま現在も見る事が出来ました。
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(店舗鳥瞰図にも描かれている土蔵)   (店舗鳥瞰図で土蔵の前に描かれている井戸?)
外に出て建物の北側に回ります。建物の北側に沿って狭い路地が裏まで抜けています。路地と建物との間に、古い瓦を利用したものか、色んな形の瓦で水の流れを表現しています。
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(店舗土蔵群の北側に沿って通る路地。裏手方向から撮影)
並べられた瓦の中に「油伝味噌」さんの商標「ヤマトイチ」を表現した鬼瓦なども並べられています。
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(路地と土蔵の間に造られた、瓦を利用したアートでしょうか?)
現在の店舗の屋根にも「ヤマトイチ」の商標が表わされています。山の記号の下に漢数字で十一と書いて、ヤマ・ト・イチ(大和一)と読むまさに日本一を意識した商標がユニークですね。
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(明治40年発行「栃木営業便覧」の「油伝味噌」さん部分を抜粋。北側に路地が通っている)
「油伝味噌」さんの裏手には、工場建屋等の間に細い道が、表側の「嘉右衛門町通り」とほぼ並行して、南から北に抜けています。この道は、ここから100メートル程南に行った所、「嘉右衛門町通り」の大きな自然石の「庚申塔」が祀られている分岐で、左に向かう「三日月道」になります。
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(道標を兼ねて右日光道・おざく道、左三日月道と刻された庚申塔)
この店舗裏手には、大谷石造りの建物やタンクなどが残っています。かって煙突が建っていたと思われる場所も確認する事が出来ました。
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私は、いつもこの「嘉右衛門町通り」を歩いていますが、夕暮れ時街灯や家から漏れる明かりなど、昼間とは違う光景を見るのも好きです。
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(北側路地入口に建つ街灯)      (1991年撮影、夕暮れ時の油伝味噌さん)





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