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栃木市郷土参考館 [建物]

栃木市の市街地中心部、大通りから西に入る細い道路(一方通行の為大通りからは進入出来ない)が有り、この道路を境に北側が万町、南側が倭町となります。ただこの細い道路が何時ごろ出来たものか分かりません、国土地理院発行2万5千分1「栃木」の地形図には載らない程度の道路の為です。しかしこの道路が抜ける、大道りと並行して西側を南北に通る通称「蚤の市通り」は、昭和22年発行の地図にはまだ現れません。それまでは西銀座通りの西端、ミツワ通りとの交差点付近から北に通る道が、巴波川に架かる「倭橋」の東詰まで通っていました。この通りに面した辺りは以前「若松町」と呼ばれていました。そして「倭橋」東詰から北に抜ける「蚤の市通り」が地図に現れるのは、昭和40年の発行地図を待たなければなりません。ですからその「蚤の市通り」に抜ける大通りからのこの細い道も、戦後に出来たと考えます。今度調べてみたいと思います。現在この道路に面した南側、倭町側に今回訪問した「栃木市郷土参考館」が有ります。
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(栃木市郷土参考館の有る通り。大通り側からと、蚤の市通り側からの様子)
一方通行に従って「蚤の市通り」からこの細い道に入ってくると、右側に白壁の土蔵が有ります。窓に格子が掛かっています、その先に洒落た構えの門、「栃木市郷土参考館」「入場料無料」など記した案内板が立っています。
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(通りから望む郷土参考館となっている土蔵)    (郷土参考館の入口から中を望む)
この「栃木市郷土参考館」は、昭和58年7月1日に開館しましたが、その前身は昭和53年6月1日に栃木市観光協会が開館させた「下野栃木民芸館」です。「下野栃木民芸館」が開館した昭和53年は、6月1日から9月30日までの4ヶ月間、昭和55年開催される「栃の葉国体」に向け、栃木県の新しいイメージアップの確立と観光客の増加を図る為、社団法人県観光協会が主体となって、実施された「栃木の旅」特別キャンペーン、「やすらぎの栃木路」のイベントのひとつでした。この時同時に嘉右衛門町の「代官屋敷 岡田記念館」も開館しています。
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(昭和53年7月5日発行の、旅の手帳臨時増刊号「やすらぎの栃木路」の表紙)

門の奥に市街地の中とは思えない風景が広がっています。門を潜って中に入ります。右手の木の根基に小さな石碑「円説  真言宗  中ノ坊 屋敷跡」と有ります。左側に栃木市教育委員会が記した「栃木市郷土参考館」の説明板が建てられています。
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(門を潜ると右側に見える石碑。「中ノ坊」と有る) (左側に建てられて案内板)
説明書に依りますと、この建物は約200年前の江戸時代の板倉家の土蔵を主体とした家です。板倉家の先祖は三重県四日市馳出村出身で、諸国修行の旅の僧であったと言われています。
この板倉家は、元は「中ノ坊」と呼ばれ、栃木郷土史に載る明治数年前と推察される木版刷「栃之花見立三幅對」の中に当時の栃木町の御三家として「円説」「善野佐治兵衛」「善野喜兵衛」と記されています。中ノ坊は当時栃木町一の富豪でした。これらの江戸後期から明治初期にかけての栃木の富豪については、「林 美一」氏の著書「歌麿が愛した栃木」に詳しい記述が有ります。
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(江戸後期の板倉家の様子が載る「歌麿が愛した栃木」の表紙)(土蔵の鬼瓦に屋号の文字)
玄関脇に古井戸が有り、水道の蛇口も整っていますが、昔ながらの手押しポンプも残っています。玄関の入口は、「くぐり戸」になっていて、腰をかがめて中に入ります。
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(玄関脇に残る手押しポンプの古井戸)          (玄関のくぐり戸)
中は昭和初期の家の雰囲気が残り、神棚・柱に架かるクラシックな時計、裸電球右手に杉の一枚戸。樹齢千年以上と説明札が付いていました。
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(玄関から入った中の座敷の様子)
脇の押しボタンを押すと奥から係りの人が出て来て、説明が有り奥の展示室にどうぞと案内される。靴を脱いで座敷に上がります。座敷の隅に当時使用していたとする帳場や家具などが残されていました。
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(格子帳場)                 (引き出しに番号が付いた薬箪笥)
座敷の奥、廊下の先に裏手の土蔵の入口が有ります。ズッシリと重量感の有る扉や土蔵の外の扉と内側の引き戸との間の空間に設けられた、「ねずみ返し」について説明が記されています。現在は通行の邪魔になるので、入口に設置される板は取り付けられていません。当時も出入りの際は外し、通常は取り付けられていたものと考えます。
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(火災から収納品を守る重厚な造りの土蔵の扉)(土蔵入口に設けられたねずみ返し支持板)
土蔵は現在、一階・二階とも展示場に成っていて、栃木市関係の歴史資料や、星野遺跡や下野国庁跡等の発掘調査にて出土した、石器や土器、木簡や瓦。その他栃木市の産業に関する道具、民族資料などが展示されています。
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(土蔵一階の内部。昔懐かしい家具や道具の展示物)
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(土蔵二階の松の一本の梁垂木は千年物と云われる。)  (この家の由来や建物の説明文)
一階廊下からガラス戸越しに見える庭の緑が新鮮に感じる。室外に出て南側に回ってみると、庭に多くのシャガの花が静かに咲いていました。
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(ガラス戸越しに庭の緑を)         (庭にはシャガの花が丁度咲いていました)

この地にて昔、実際に使われたり、造られた品々を実際に見て、懐かしく思ったり新たに知る事が出来たり、貴重な時間を過ごすことが出来ました。ただ栃木市の展示施設としては、施設のスペース等の制約も有り、思うようにはできなかったのかも知れませんが、展示内容が時系列やテーマ別の説明が無く少し物足りない感じを受けました。その為に「参考館」と命名したのかも。



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