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栃木県民の日 [祭]

栃木県民の日は、6月15日水曜日です。平日という事で昨日(11日)と今日(12日)の二日間、県内各地でイベントが開催された様です。私の地元栃木市においても、「県名発祥の地 十千木縁日」と銘打って、多くのイベントが企画されました。
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(イベント会場となった「とちぎ山車会館前広場」)
私も、「とちぎ山車会館」や「とちぎ蔵の街美術館」の入館料が無料になるという事で、「無料」という言葉に誘われて、イベント会場である「とちぎ山車会館前広場」まで出かけて来ました。
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(入館料が無料となった「とちぎ山車会館」と「とちぎ蔵の街美術館」)
私が興味が有ったイベントは、「栃木の歴史写真パネル展示」でした。片岡写真館所蔵の明治期の栃木市街地各所を撮影した写真と合わせ、現在の姿を比較して観賞できるように展示されていました。栃木県内で最初の写真館が栃木で営業をした御蔭で、今もこうして自分が育った町の歴史を写真で目にすることが出来るのは、恵まれたと思います。
「とちぎ山車会館」の中は、撮影が出来ませんでしたが、展示物や秋祭りの人形山車の映像をゆっくりと堪能出来ました。又、山車会館前のイベント会場には、栃木市のゆるキャラ「とち介」君も姿を見せていました。
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(栃木の歴史写真パネル展示)                (イベント会場に「とち介」君の姿も)

6月15日が栃木県の「県民の日」と制定された由来について調べて見ると、「栃木市史 資料編 近現代Ⅰ」(昭和56年3月31日発行)の第一章「栃木県設置」と言う項目に、江戸から明治に世の中が変わる時代、政治・行政のしくみが、新しく変わる中で、「栃木県」が生まれる経緯が、その章の冒頭部分「概説」に表わされていました。
「概説」には、≪慶応4年(1867)鳥羽伏見の戦いに始まる戊申戦争は下野国へも波及し、・・・・(中略)・・・・明治4年4月1日出庁を栃木町にうつし、定願寺に日光県出庁を設け、間もなく県号を栃木県と改めたのである。≫と記され、ここで「栃木県」の名称が初めて表れました。
明治4年(1871)の廃藩置県で、旧栃木県と宇都宮県の2県となり、明治6年(1873)6月15日にこの二つの県が合併して、ほぼ現在の栃木県の形が誕生したのです。この合併日「6月15日」を栃木県の誕生した日として、県民の日と制定されたのでした。

6月15日の「県民の日」当日にも、栃木県庁をはじめ県内各所にて、イベントが開催される様です。時間が有ったらどこか参加したいと思います。
今日の帰路、嘉右衛門町にて、通りを走る懐かしい「ボンネットバス」に行き合いました。これも今回のイベントの一つで、バスの窓から乗っている子供達の元気な声を残して、バスは通り過ぎて行きました。
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(嘉右衛門町通りを走る、昔懐かしいボンネットバス)

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