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「10万人栃木まつり」の思い出 [祭]

最近、ウォーキングも少し陽が傾いて涼しくなったころに、家を出る事が多くなりましたが、週末などは栃木の市街地を歩くと、遠くから太鼓をたたく音が聞こえる様になりました。夏祭りのお囃子の練習が始まっている様です。錦町や小平町そして十二社の境内と思しき方向からも、調子の良いリズムが、いよいよ祭りが近くなってきている事を知らせてくれます。
大通りに面した店舗のガラス戸には、神明宮神幸祭のポスターが貼られています。今年は7月24日(日)の午後5時から、蔵の街大通りを御神輿が渡御します。私も若かりし頃に担がせて頂いた経験が有りますが、早朝9時から神輿巡行をスタートさせて、旧栃木町の五ヶ町を全部回りました。
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(昨年の神明宮神幸祭の様子)
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市内の各町内の神輿が大通りに繰り出す連合渡御も、以前は沢山の神輿が集まり、大通りは人で溢れました。
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(蔵の街大通りでの、神輿連合渡御の様子。1980年7月撮影)
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8月に入ると、幸来橋下流の巴波川で行われる「百八灯流し」、そして蔵の街大通りを中心に開催される「栃木夏祭り」、最近は祭りの名称も変わって、「蔵の街サマーフェスタ」となりました。
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(幸来橋下流部の巴波川で行われる「百八灯流し」の様子。2013年撮影)
私が小さかった頃は、旭町第二公園の広場に櫓が組まれ、盆踊り会場になりました。両親と手つないで見にいった記憶が残っています。沢山の人出で櫓の周りで踊る所は、なかなか見る事が出来ませんでした。観客の後で櫓の上で演奏される、「栃木音頭」や「栃木小唄」の歌や囃子、三味線の音が今も耳に残っています。
しかし私が10代の頃の夏祭りの記憶は不思議と残っていません。
現在の様に、蔵の街大通りを会場に、盆踊りが開催されるようになったのは、昭和50年(1975)の事です。この年の4月10日に栃木バイパス道が、箱森町の十二社から大平町川連の間が仮開通した事で、大通りを全面通行止めにした祭りが可能になったのでした。
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(蔵の街大通りにて開催された「栃木まつり」盆踊り大会の様子、1977年撮影)
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その当時、栃木青年会議所の提唱によって企画された、「10万人栃木まつり」は更に時をさかのぼる事2年前、昭和48年(1973)に第一回が開催されました。この時の祭りのメイン会場となったのは、栃木東中学校の校庭で、中央に立派な「盆踊り櫓」が組まれました。
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3日間の祭りの期間の初日は、メイン会場の櫓をステージとして、10代20代の若者が主体となった「栃木ヤングフェスティバル」、会場には沢山の若者がステージ上で演奏されるプロのタレントの演奏を楽しみました。私も観客の1人として出かけ、写真を撮って来ました。
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フィナーレは大きなキャンプファイヤーの炎を中心に、歌や踊りで夏の位置やを、一緒に楽しみました。
この時の、10万人栃木まつり・ヤングフェスティバルのテーマソングは、「もう一度ふるさとを」でした。
今も懐かしく思い出します。
一番だけ紹介します。≪若さみなぎる この町の 力あふれる 若者よ 素直な心で 見つめて欲しい 忘れかけてた ふるさとを 唱えヤング 踊れヤング ランララ・ランランランララー≫
栃木ヤングフェスティバル3.jpg
今は遠い昔の思い出に成ってしまいましたが、栃木まつりはその時代・時代に合わせて、変化し続けられています。
今年も又、栃木の夏祭りを楽しみたいと思います。


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