SSブログ

旧薬師寺村道路元標について [石碑]

旧薬師寺村(現下野市薬師寺)の道路元標は、下野市の自治医科大学の南側を東西に抜ける栃木県道310号(下野二宮線)を東に走り、新国道4号線へ向かう手前の集落の中に有ります。
薬師寺村はその名前が表わす通り、古くは日本三戒壇の一つと成る下野薬師寺が有った所です。現在の薬師寺の集落は中央部を南北に貫通するように通る道路に沿って、家並みが形成されています。明治前期に作られた迅速測図「栃木県下野国河内郡薬師寺村及下都賀郡小金井驛」を調べてみると、この南北に通る道路には「従宇都宮至結城町道」(宇都宮より結城町への道)と記されています。
現在県道310号線に有る「薬師寺4丁目交差点」で、交わる道路がこの街道に成ります。先の迅速測図では交差点では無く丁字路として、西側には道路が有りません。以前はその丁字路から南側に90メートル程下った所に、西側に向かう道路の丁字路が描かれています。
明治初期薬師寺村略図1.jpg
(明治前期の薬師寺村の略図を、迅速測図を基に作成しました。赤印が道路元標の位置)

「薬師寺村道路元標」はこの南側丁字路の東側突き当りの場所に建っています。この丁字路には現在も「薬師寺郵便局」が有り、かつては集落の中心地で有ったことが覗われます。
薬師寺村道路元標.jpg薬師寺村道路元標2.jpg
(薬師寺村道路元標)        (道路元標は薬師寺郵便局の脇に建っています)
西に向かう道路は今も残っていますが、現在は集落の西側から、分岐して先ほどの「薬師寺4丁目交差点」に交わる新道が出来て、そちらが県道310号となり、旧道を通る車は殆ど無くなっています。

地形図を見てみると、道路元標の建つ直ぐ西側に三角点記号が記されています。三等三角点「薬師寺」です。標高表示は60.6メートルと成っています。この薬師寺の集落の有る地点は東側と西側とは水田が広がり、特に東側は北から南に田川が流れていて、周辺の標高は50メートル前後と低くなっています。
薬師寺の集落は、周辺より少し高くなっている所を通る、宇都宮と結城を結ぶ道路に沿って開けている事が分かりました。

道路元標より北に500メートル程行くと、道路の左側に「安国寺」が有ります。境内に建てられた説明板によると、≪安国寺は暦応2年(1339)、足利尊氏が古代の国分寺にならって全国に安国寺を建立した際、下野国には薬師寺が存在するところから安国寺を建てることなく、そのまま安国寺と寺名改称したと伝えられる。(後略)≫と記されています。入口には「史跡 下野薬師寺跡」と刻した石柱も建てられていました。
安国寺1.jpg安国寺2.jpg
(安国寺入口脇に建つ「史跡下野薬師寺跡」の石柱)    (明治38年再建の安国寺本堂)
尚、安国寺本堂北西側に建つ「六角堂」は、かっての下野薬師寺戒壇跡と伝えられる所に建てられています。更にその西側から北側一帯にかけて、史跡整備の為の発掘調査が行われ、金堂・戒壇・経蔵・講堂・回廊などの伽藍配置が明らかにされつつあります。中でも西回廊は調査結果を基に、史跡公園内に一部復元されています。
安国寺六角堂.jpg下野薬師寺回廊復元.jpg
(下野薬師寺跡のシンボル、六角堂)         (一部復元された、下野薬師寺回廊)

又、安国寺の東側、ほぼ並行して通る道路沿いに、薬師寺八幡宮が祀られています。参道前に建つ案内板によると、≪薬師寺八幡宮は、奈良時代前期に建てられた下野薬師寺の寺内社といわれ、貞観17年(875)石清水八幡宮の祭神を東北守護の大神として鎮座されたものといわれています。(後略)≫と記されていました。
薬師寺八幡宮3.jpg
(道路沿いに建つ二つの鳥居、奥が薬師寺八幡宮。手前は天狗山雷電神社の鳥居)
薬師寺八幡宮2.jpg薬師寺八幡宮1.jpg
(薬師寺八幡宮の参道入口)                (薬師寺八幡宮拝殿)

一方、道路元標前から南へ90メートル程進むと右に入る道が有り、その先に下野薬師寺別院「龍興寺」山門が現れます。手前に有る駐車場に車を停めて、山門を潜ると、整然とした境内に美しく均整の取れている本堂が迎えてくれます。境内には日本三戒壇を開いた鑑真和尚の碑や、弓削道鏡の墓所と言われる「道鏡塚」が有ります。
龍興寺1.jpg史跡道鏡塚.jpg
(龍興寺本堂)                  (本堂に向かって左手方向に有る史跡道鏡塚)

今回は、旧薬師寺村の道路元標を中心に、古き昔の名残を今に留める社寺をめぐりました。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0