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鹿沼市口粟野から望む「大倉山」 [地図]

前回、我家から北北西方向に見える三角山が、栃木市と鹿沼市の境界と成る山々の稜線のひとつ、「大倉山」標高454.6メートルで有る事を確認しました。
大倉山5.jpg
(我家から見える「大倉山」、バック中央の雪山は「女峰山」、右側は都賀の里「観音山」)
地形図を確認して等高線の状態から、円錐状の山では無い事も判明しました。たまたま我家の方向から見える形は三角状に見えるのでした。
それでは、大倉山の反対側から見ても同じ三角山に見る事が出来るのではと考え、地形図上で我家と「大倉山」とを結ぶ直線の延長上を探してみると、鹿沼市口粟野の粟野城址と成る「城山」山頂が当たっている事を確認出来たので、さっそく現地確認に出掛けて来ました。
目的の「城山」は、鹿沼市口粟野の市街地中心部に有ります。街を東西につらぬく県道15号線から、入粟野方面に向かう県道246号線が分岐する交差点の西側に「城山公園」と記した道路標識が建っています。
標識の所から北に入る細い道に入り、左にカーブする坂道をそのまま進むと、城山公園の駐車場に突き当たります。
駐車場に車を停めて本丸方向に山道を登ります。公園内は「城山を守る会」の手による、道標や説明板がいたる所い建てられ、山頂への道路も綺麗に整備されて、安心して登る事が出来ました。
標高257メートルの山頂と思しき所まで約20分で到着しました。山頂に大きな石碑が建てられています。
粟野城址「城山」の碑1.jpg
(粟野城址の通称「城山」の山頂に建てられた石碑)
石碑の正面には「城山」の文字が大きく刻されています。この文字は徳川慶喜翁の揮毫と説明されていました。碑陰には横尾勝右衛門氏の撰文で粟野城の歴史が記されています。その碑文の中に「天正16年12月某日皆川山城守広照・・・」の文字が記されていました。興味が有るので後で又調べてみたいと思います。
粟野城址「城山」の碑2.jpg粟野城址「城山」の碑3.jpg
(石碑の表に刻された文字は「城山」)     (碑陰には粟野城の歴史が刻されている)
その石碑の隣りには「栃木県の防空関連施設群」のひとつ、土木学会選奨土木遺産として指定された「口粟野防空監視哨」が残されていました。
口粟野防空監視哨2.jpg口粟野防空監視哨3.jpg
(山頂に残る口粟野防空監視哨の跡)         (推奨土木遺産の銘板)
この監視哨は≪太平洋戦争開戦の昭和16年(1941)「防空監視隊令(勅令1136号)の発令を受けて策定された「栃木県防空計画」により整備・建造された。(後略)≫との説明板が脇に立てられています。
この監視哨の脇に立って南の方向を望むと、栃木市との境界と成る山々の稜線がシルエットとなって、東西方向に連なっています。
口粟野防空監視哨1.jpg
(城山山頂の土木遺産「口粟野防空監視哨跡」から南方栃木市との境界稜線を望む)
そして、有りましたその稜線にひときわ高く突き出た三角形の山、「大倉山」です。
大倉山(北から).jpg
(標高454.6メートルの「大倉山」山頂部分)
地形図上で検証した、我家からとは正反対の北側から見た「大倉山」の姿です。

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