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県庁堀川流域を歩く [歩く]

先日、「元県庁堀」を見て歩きましたが、その時 堀に架けられた「清水橋」や「鶉橋」の親柱に、「県庁堀川」と言う河川名が表示されている事に気付きました。これらの橋は比較的最近新しく架け替えられたもので、残念ながら竣功年月表示が有りません。「元県庁堀」には他に「御幸橋」と「栃木橋」が架けられていますが、昭和6年12月架設された「御幸橋」の親柱のひとつには「元縣廰堀」と表示されています。「栃木橋」こちらも竣功年月表示は有りませんが「県庁堀」との表示に成っています。
県庁堀川銘板.jpg元県庁堀銘板.jpg
(鶉橋の親柱、「県庁堀川」と成っている) (御幸橋の親柱、「元縣廰堀」と成っている)

県庁堀が作られた当時の「杤木縣廰圖」(明治六癸酉九月)には、堀に繋がる川は、県庁堀と巴波川との間の舟運を目的に同時期に造られた漕渠(運河)しか描かれていません。
薗部村鶉島に県庁が建てられた後、南側と東側とに市街地が形成されますが、明治19年7月発行「栃木町」の迅速測図(2万分1)を見ても、県庁堀の西側から北側にかけての一帯は、一面に水田が広がっているのみです。
その当時の県庁堀には相当の湧水が流れ出てもいた様です。
その後、大正6年7月30日、大日本帝国陸地測量部発行の2万5千分1「栃木」の地形図には、県庁堀の北西部近くに北西方向箱森から一筋の河川が合流して居ているのが確認出来ます。
現在の県庁堀を確認すると、更に堀の西側に柳橋の日限富士浅間神社方向から一筋、そして北東側の栃高グランドの東側に沿って、北側の錦町から一筋と水路が合流しています。
戦後の復興期から高度経済成長期と時代が流れ、栃木町の周辺にも住宅が建てられるようになると、その生活雑排水の流入による河川の汚染が深刻な問題となって来ました。昭和40年の頃市内では、「川をきれいにしよう」という事が盛んに叫ばれ、巴波川に鯉は放流されたり、白鳥がお目見えしたのもこの頃です。
その後、下水道の整備が進み、次第に環境も良くなってきました。
何時だったか、県庁堀脇を歩いていた時、「県庁堀川木炭浄化施設」と言う説明板が、栃木県栃木土木事務所と栃木市の名前で建てられていました。
県庁堀川木炭浄化施設説明板.jpg
(元県庁堀脇に立てられていた「県庁堀川木炭浄化施設」の説明板)
そこには≪木炭浄化システムを日本で初めて川の中に直接設置するもので、川の水がどのくらいきれいになるかを調べる実験施設です。≫と説明されていました。改めて見直すと、そのに「県庁堀川について」の説明も記されています。
≪県庁堀川は、旧赤津川分水堰付近を源とし、現在地(旧栃木市市役所南側)を通って、入舟川と分かれて巴波川に合流する流域面積約1.26k㎡の河川で、堀の周りは約1,100mあります。≫以上の説明文に添えて「県庁堀川流域図」が記されていましたので、それを参考に流域図を作成して、その流域を実際に歩いてみました。
県庁堀川流域図.jpg
県庁堀川の流域界は、北側は「旧赤津川」、東側は「巴波川」、そして西側は「清水川」の三つの河川に囲まれ、南側は皆川街道のによって仕切られた範囲で、ここは私が生まれてから現在まで生活をして来た場所です。
まず一番北の端は、旧赤津川の分水堰で、本流から分かれ南に流れる水路です。箱森町の十二社から東に新栃木方向に行く道路に、昭和12年10月竣功の「榮橋」の親柱を確認する事が出来ます。最終的に県庁堀に繋がる水路はこの橋の少し上流側で、旧赤津川から分かれたものですが、現在は県道32号の新道が通った為、分水堰は無く、周辺の景色も全く変わってしまいました。私が1980年にこの分水堰付近を撮影した写真が有りました。
旧赤津川分水堰付近.jpg旧赤津川分水堰の現状.jpg
(1980年撮影、旧赤津川分水堰付近) (堰は現在モスバーガー栃木店の北側辺りでした)
水路は「榮橋」下流から南西方向にカーブして、明治33年から昭和5年の路線変更に成るまで、鍋山人車鉄道が通っていた「旧鍋山街道」の下を流れ、箱一自治会の公民館の脇を南流、「レユーナ特別養護老人ホーム」の西脇を南東方向に流れて、元県庁堀の北西部に合流しています。
鍋山街道と交差.jpgレユーナ西側水路.jpg
(旧鍋山街道に架かる橋の下、U字溝に変わる)    (中央奥の三角屋根がレユーナ)
旧鍋山街道のコンクリート橋の高欄の長さは、2メートル以上あり、私の子供の頃は2メートル程の小川が流れていて、ドジョウやザリガニなどを採りました。

又、柳橋町に有る「日限富士浅間神社」の北側にて、清水川の分水堰で東側に分流した水路は、柳橋町の住宅街の中を南東方向に流れ、元県庁堀の南西部付近に合流しています。
清水川分水堰.jpg浅間神社方向からの水路.jpg
(清水川の分水堰、右方向が本流)(住宅街の中を抜ける水路、この手前で県庁堀に合流)
私が子供の頃はこの清水川の分水堰で良く水遊びに興じていました。水路の土手で「ノノヒロ」を採って来て味噌を付けて食べ、空腹を満たしていました。

今回は、栃木高等学校の許可を得て、校庭内に平成7年復元された県庁堀も見学させて貰いました。堀は校舎や体育館が建つ区域とその北側のグランドとの境を東西に続いています。
北堀西方向.jpg北堀東方向.jpg
(中央部に架かる橋から西側を撮影)      (中央部に架かる橋から東側を撮影)
私の子供の頃はまだ小学校にプールが無かったので、夏休みには友達と誘い合って栃高のプールに行きました。深いプールで足が着かなかったので、少し怖い思いをしました。その頃は校庭内の堀は埋められて、プールが堀の西側の位置に有りました。
現在、復元された県庁堀の脇、昔のプールが有った辺りに成るでしょうか、当時のプールに有ったスタート台の一部が残されて有りました。
復原された県庁堀には、地下水が汲み上げられて、勢いよく堀を流れていました。
プールスタート台.jpg汲み上げ水.jpg
(昔のプールに有ったスタート台)     (復元された県庁堀水面に湧き上がる水)

県庁堀川の流域範囲は、そのまま私の生活域にも成っていた事を今回知る事が出来ました。
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