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栃木県立栃木高等学校の構内に建つ、明治天皇御聖蹟 [石碑]

私の子供の頃に、遊び場の一つだった栃木高等学校の構内。今では勝手に入る事は出来なくなりましたが、これまで何度か許可を頂いて構内を見学しました。
正門を入った左側に有る「洗心苑」と命名された庭園には、3月の下旬に成ると枝垂桜にピンク色の花が咲いて暫し華やかな姿を現します。
洗心苑.jpg
(「洗心苑」、左奥の樹陰に石碑が1基建てられています。2017年3月30日写す)

この場所は昭和4年に昭和天皇即位のご大典記念事業として、奉安殿が建てられましたが、戦後の昭和21年8月に撤去された後、昭和35年から始められた環境整備事業の一環として計画され、昭和36年11月に完成した総面積804㎡の「洗心苑」として、生徒たちはもとより、訪れた人の心を暫しなごませてくれる場所と成っています。

この県立栃木高等学校は、明治32年11月栃木県下にて、旧栃木町を中心に下都賀郡地方に於いて、近衛師団の小機動演習が行われた際、明治天皇の行在所となりました。
その記念として、この「洗心苑」の奥に大きな石碑が建てられています。
石碑の表面中央には、元帥侯爵山縣有朋の書になる、「聖駕駐蹕碑」の5文字が大きく刻されています。
碑陰に刻された碑文は、木の枝が掛かるなどして少し読み難くかったですが、写真に撮って拡大して見ますと、
≪明治三十二年十一月十五日  天皇閲兵於毛之野駐蹕于本學  
                    三日於戯 聖恩弘大何以報之  詩云夙夜匪解以事一人≫
  ≪明治三十八年十一月     栃木中學校同窓會長従七位劉須謹撰≫
と刻されています。
     (※劉須:第二代校長、明治34年3月31日〜大正3年12月27日)
聖駕駐蹕碑(表).jpg聖駕駐蹕碑(裏).jpg
(洗心苑の奥に建つ「聖駕駐蹕碑」。左が碑表、そして右が碑陰の写真)

校舎の裏手(北側)の、復元された元県庁堀の際に、明治天皇の行在所となった建物が、記念館(御聖蹟)として保存されてます。
記念館.jpg
(記念館全景、手前の堀は「旧県庁堀」で埋立てられてましたが、平成7年に復元されました)

この建物は、明治29年本校創立の年に建てられた本校最古の二階建ての建築物で、当初階上は講堂、一階は校長室・事務室・宿直室などに使用されましたが、明治32年11月15日より4日間、近衛師団北関東大演習の折、改造されて行在所となりました。
又、栃木高等学校は大正7年11月13日より7日間陸軍特別大演習が行われた際にも、大本営が置かれ、その折も大正天皇の行在所として使用されています。

正門を入った所から右方向に向かうと、明治43年9月東宮殿下(大正天皇)の御来校を記念して、大正3年11月に建てられた「記念図書館(養生寮)」が建っています。そして、この建物の南側のエリアーが「メモリアルゾーン」として、「明治天皇栃木行在所」や「大本營記念」そして「聖井之蹟」と刻した、3基の石碑が建てられています。
記念図書館.jpg明治天皇栃木行在所の碑.jpg
(正門を入った右手の「記念図書館」)(メモリアルゾーンに建つ「明治天皇栃木行在所」の碑)

「明治天皇栃木行在所」の石碑は、昭和13年7月に建てられています。これはその前の年、昭和12年12月に「名勝天然記念物保存法に依り史蹟として文部大臣の指定を受けた事により建てられたと思われます。
石碑の側面にはこれらの内容が刻されています。

大本営記念の碑.jpg大本営記念の碑(裏).jpg
(同じくメモリアルゾーンに建つ「大本營記念」の碑正面) (「大本營記念」の碑陰)

「大本營記念」の石碑は大正9年11月に建てられたものです。碑陰には当時の栃木縣立栃木中學校長 従六位勲六等依田義三謹撰の碑文が刻まれています。
   (※依田義三:第三代校長、大正3年12月28日〜大正11年4月16日)
  <碑文>
        大正七年十一月十三日 今上以我黌充大本營駐蹕七日
        講武于常毛之野治而不忘亂於戯大哉 睿謨師生感激弗
        知所措謹刻貞珉表 聖跡於無窮矣 

碑文に有る通り、この大本營は大正7年11月13日から11月19日の7日間に渡って行われた、陸軍特別大演習の際、栃木中学校(現在の栃木高等学校)に置かれた「大本營」の事に成ります。
上記の記念館の中には、その時学校正門の門柱に掲げられた「大本營」と大書された木札が展示されています。

それらの石碑の建つ先に更に進むと、少し小さな石碑が建てられています。
正面の上半分を使い、「聖井之蹟」の文字が刻されています。下半分には碑文が刻されています。
       <碑文>
        此昔供 天子食膳泉也
        今廢矣明治壬子夏吾儕
        清湮建碑以致敬虔誠
         栃木中學第三學年生識

聖井之蹟(全).jpg聖井之蹟(碑文).jpg
(メモリアルゾーンの東奥に建つ「聖井之蹟」の碑)  (「聖井之蹟」の碑文)

栃木県立栃木高等学校は、我家から一番近い学校でしたが、私にとっては一番遠い学校でした。憧れの学校でしたから私のアルバムに1965年4月に撮影した栃高の正門の写真が残っていました。
1965年4月栃木高校正門.jpg

現在は毎年開催されている「栃木 蔵の街かど映画祭」のメイン会場として、ここ栃木高等学校の「洗心苑」西隣りに建つ「講堂」が利用されている為、その時に洗心苑やメモリアルゾーンに建つこれらの石碑を見る事が出来ます。ちなみに今年の開催は第11回で、来月5月12日(土)と13日(日)です。
ただ記念館内部の見学に関しては、事前に栃木高等学校に問い合わせが必要になります。
映蔵2.jpg映蔵1.jpg
(映画祭のメイン会場となる「講堂」)  (講堂入口に掲げられた「映藏」の日除け暖簾)
この「講堂」は明治43年2月13日に落成した本校二番目に古い建築物で、入学式、卒業式をはじめ各種の行事に使用されてきました。
尚、今回紹介した「記念館(御聖蹟)」「記念図書館(養生寮)」「講堂」の建築物は、登録有形文化財に成っています。

今回参考にさせて頂いた文献:栃木市史 資料編近現代Ⅰ、
                    栃髙百年史、
                    小冊子「栃高の旧跡」平成21年1月1日発行






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ヘイター くるみ

はじめまして。この記事を読ませて頂きました。私の母は、依田義三さんの孫にあたります。孫といっても母ももう80代です。
今まで、この碑文がある事を存じませんでしたので、とても興味深く感じています。是非一度訪問してみたいと思っています。
by ヘイター くるみ (2019-01-31 22:47) 

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