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栃木市吹上地区の米山に登る [石碑]

栃木市吹上地区の米山は標高86メートル程、周囲約500メートルの小丘。周辺田畑の標高が60メートル程有りますから比高としては26メートル程になります。
米山遠望1.jpg
(赤津川に架かる平和橋上から上流側を望む。正面奥の小丘が米山です。)

近くの三角点は米山から北西650メートルの吹上中学校の校舎南側に有り標高は81.7メートルですから、米山の山頂は丁度吹上中校舎の2階ほどの高さになります。東側を赤津川が南流しています。山の南東側半分が野中町で、南側中腹に長宮神社が祀られています。この神社は明治40年10月15日吹上村大字野中の神饌幣帛料供進指定村社となっています。
長宮神社入り口.jpg
(米山の南端部に建つ長宮神社の石の鳥居)
長宮神社境内.jpg
(鳥居を潜り杉木立の中の参道を進むと高台に社殿が見えてくる)
神楽殿.jpg社殿.jpg
(中段部に建つ神楽殿)      (上段部の拝殿、左横に「水神社」等の境内社が並ぶ)

山の北西側半分は吹上町で、山頂近くには墓地が有り、中央部に米山薬師如来の石仏が祀られています。
この米山薬師は、この吹上の地に昔から住まわれている塩田家が一族の永遠の繁栄を祈願して、新潟県の上越市と柏崎市との境に聳える霊峰米山(標高993メートル)の山頂に祀られている米山薬師を勧請されたと云われています。米山薬師は三河(愛知県)の鳳来寺薬師と、日向(宮崎県)の法華嶽薬師と共に、日本三薬師の一つとして知られています。
米山薬師入口.jpg米山薬師.jpg
(米山薬師への階段と脇に建つ石碑) (山頂部墓地内に鎮座する米山薬師如来)

米山薬師が祀られている塩田家一族の墓地への入口は、米山の西側に有りました。周辺には最近新しい住宅が建てられ、以前は道路脇に建てられていた案内の石碑も現在は米山登り口階段脇に移されています。
上端が尖った自然石の案内の石碑には「日本三體米山薬師」「塩田一族之墓入口」、そして碑陰には「紀元貮千六百年 昭和拾五年五月 一族一同 式臺 本碑 建之」と刻されています。
「栃木口語り 吹上 現代故老に聴く」(野村敬子・原田遼・共編、2010年11月10日 瑞木書房発行)の書籍の中にこの米山薬師のお話が詳しく語られています。その中に≪米山の薬師様への石段は六十三段ですが、この六十三段は七×九で七難九厄をよけるとされています。登ることに意味があります。≫と述べられています。私も一段一段数えて石段を登ってみました。確かに63段を数えました。

墓地のほぼ中央に米山薬師が祀られています。薬師様はお座りになられ、両手で薬壺を持たれています。後方の大きな舟形光背には、「奉本願吹上村米山薬師」と「寛文四甲辰禾五月八日」の文字が並んで刻されています。寛文4年は1664年で甲辰の年で、今から355年前に建てられた薬師如来様です。

この塩田家墓地の一段高くなった右奥の墓所に大きな石碑が建てられています。
塩田家譜之碑.jpg碑銘.jpg
(塩田家墓地の右奥に建つ石碑)   (石碑上部の碑銘、篆書体文字が陽刻されています)

石碑上部の碑銘には「鹽田家譜之碑」と篆書体にて陽刻されています。碑文に目を移すと、先頭行に少し大きな文字で「鹽田氏畧譜碑」と、ただ本文は容易に読むことが出来ません。私の苦手な漢文の文章体で、どのように読んでいいのか皆目見当が付きません。見たこともない漢字を含めて646文字が整然と並んで刻されています。
最終行に、「明治三十九年九月二十九日  當家十一代孫奥造朝眞謹撰并書」と有り、この碑文が書かれた日付けと、文を作り清書した人物が「塩田奥造」であることがわかりました。
塩田氏畧譜碑(吹上町).jpg
(石碑の碑文部分を書き写してみました。難読文字も多く読み間違いも有りますが)

「塩田奥造」と言う人物に付いては、いまさら紹介するまでも無い、栃木市吹上町出身の偉人の一人です。
下野新聞社が昭和47年4月7日に発行した「郷土の人々(栃木・小山・真岡の巻)」より抜粋させて貰いますと、≪塩田は、吹上村の名主嘉門の長男として嘉永二年十月十五日に生まれた。壬生天狗党事件、出流天狗党事件のさい、吹上藩士として活躍、その後官軍に味方して会津戦争に参加している。明治にはいって五年に吹上村外九ヵ村の戸長となり、十三年県議、二十二年田中正造が議長のとき副議長をつとめた。二十三年新井とともに衆議院に打って出て三回当選した。しかし、ニ十七年の衆院選に敗れるとあっさり政界を去り、東京火災保険会社取締役となり実業界に入った。(後略)≫、その後も多くの銀行・保険・殖産等数々の事業に関係し活躍をし、昭和2年(1927)2月6日、79歳で亡くなられています。

米山よりの展望.jpg
(米山の山上からの展望)

米山からの展望は雑木が生い茂っている為、木々の間より吹上の町を垣間見る程度でした。
最後に米山薬師様にお参りして、山を下りました。

<今回参考にさせて頂いた文献>
・「郷土の人々(栃木・小山・真岡の巻)」下野新聞社・昭和47年4月7日発行
・「栃木人(明治・大正・昭和に活躍した人びとたち)」石崎常藏・2017年4月1日発行
・「栃木口語り 吹上 現代故老に聴く」野村敬子・原田遼・共編、2010年11月10日 瑞木書房発行
・「吹上地誌(中部編)」吹上地区まちづくり協議会・平成22年1月26日発行
・「吹上郷土誌」吹上尋常高等小学校・大正2年8月25日発行



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