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今回は全く私の趣味「橋」の話題 [橋梁]

時節柄、毎日毎日家籠りの生活を続けています。昨日は一日心地よい晴天、本来なら行楽日和と成るところ。それでも新型コロナウイルスに感染しない為、そして感染を広げる事にならない為、我家の敷地から一歩も出ずに過ごした。今日は幸いと言うか、朝から雨で家籠りにも、諦めが付きます。
ここの所ずっと外出を控えているので、昔のアルバムを引っ張り出しては、それを眺めて時間を潰す事が、多くなっていますが、その中で今までずっと疑問を抱えていた、一枚の橋の写真が有りました。そこの、この際その写真に写る橋の事を調べる事としました。
ウェーコ吊橋2.jpg
(テキサス州ウェーコ市のブラゾス川に架かる「ウェーコ吊り橋」)

その写真は、40年ほど前にテキサス州のダラスから車で、フリーウェー(一級州間高速道路)35Eを南に走り、州の首都「オースチン」を経由して、更に南の「サン・アントニオ」まで、ドライブをした時に撮影をしたものですが、それが何所で撮った写真か全く記憶に残っていなかったのです。
写真に写る橋は吊り橋で、近くに銘板が設置されている所から、結構有名な建造物と思われ、橋大好き人間としては、それを分からないままにする事が、如何にも諦めきれないので、時間に余裕が有る今こそと考え、グーグルマップを利用して、フリーウェー35のルート上を毎日の様に探し回っていました。そして遂にその橋を見つけ出すことが出来ました。
テキサス州.jpgテキサス州内関連都市.jpg
(テキサス州の合衆国内のロケーション)    (テキサス州内の案内図)

グーグルマップには、「ウェーコ・サスペンション・ブリッジ」と記されています。その橋が架けられている場所は、ダラスのダウンタウンから南に約140キロメートルの都市「ウェーコ」の中心部です。西北西から東南東方向に流れる、ブラゾス川右岸のブラゾスと左岸イースト・リバーサイド間に架けられています。
周辺の状況を、グーグルマップを参考にして概略地図を作成してみました。
ウェーコ吊橋周辺概略地図.jpg
(ウェーコ吊り橋の架橋場所概略地図)

橋の名前が分かったので、それで検索をすると、有りました。やはり歴史的建造物として、「アメリカ合衆国国立史跡登録」と成っています。
その解説文を引用させて頂きます。関係の薄い部分は削除しています。
≪ウェーコ・サスペンション・ブリッジは、テキサス州ウェーコ市のブラゾス川に架かっている。主径間475フィート(145m)を持つ、単径間吊り橋です。竣工は1870年、その主塔には約3万個におよぶ煉瓦が使われています。橋の架かる場所は、ウェーコ市中心部の北部に有り、川の南西側(右岸)のインディアン・スプリング・パークと、北東側(左岸)のドリス・ディ・ミラー・パークを継いでいます。”インディアン・スプリング・パーク”は、「そこは凍るような冷たい水が湧く泉」の有る川岸で、ウェーコの町の起源と成る所で、かつてヒューコ・インディアンが定住していました。
1869年以前は、ブラゾス川を渡る唯一の方法は、渡し船に依らなければ成らなかったが、それも時間は掛かるし、時には厳しく危険を伴うものでした。地元のビジネスマン達は、産業をサポートしていくには橋が必要で有る事を理解していました。彼らは州より承認を受けた「ザ・ウェーコブリッジ会社」を設立して、資金調達と建設のプロジェクトを立ち上げました。
戦後ウェーコに移り住んだ、オースチンの弁護士で銀行家のジョン・ティ・クリント氏は、「フリント&チャリバン」という商社を設立、単身ニューヨークに出かけ架橋の為の契約を行いました。
1868年10月に雇用された技術者トムズ・エム・グリフィスは、橋建設の為の建材やケーブルを、ニュージャージー州トレントンの「ローブリング会社」より、調達を始めました。建設地にて材料を調達するには、当時のウェーコ地区では機械工場が不足していて、最も近い鉄道ルートも100マイル(160km)以上離れていました。又、十分な技能を有した職人達のいる最寄りの町「ガルベストン」は、ここから212マイル(341km)以上も離れていました。
原材料は「ガルベストン」にて蒸気船に載せて輸送し、「ブライアン」にて牛が引く荷馬車に積み替えて、輸送しました。「ブライアン」から「ウェーコ」への道路は、路面がデコボコした悪路で、19世紀のテキサス州基準に対しても劣っていました。
吊橋のケーブルを支持する対の二重主塔は、地元で製造された約3万個の煉瓦にて築かれました。その時代の土木技術としては、高く評価をされるものでした。
初めて通行料を徴収したこの吊橋は、1870年1月1日に開通しました。
径間が475フィート(145m)有るこの橋は、テキサス州にて最初の重大な吊り橋と成りました。この橋は、駅馬車が互いに通行が出来る為の、十分な広さが有りました。
橋の建設費用は14万ドルでしたが、ブラゾス川を当たる為の唯一の橋だった為、歩行者や牛が渡る為の通行料5セントにて、速やかに償却する事が出来ました。
1889年に、この橋は「マクレナン郡」に売却され、通行料は無くなっています。
1913年から1914年に掛けて、橋の大規模補修が行われ、古い材料を交換して、ハイグレード材のトラスを設け、両サイドに歩行者用歩道を備えた、強固な橋と成りました。
1971年に開通100周年を越えて、馬車橋から自動車橋へと変換したウェーコ吊り橋よりより大きく、安全が保障された橋が建設され、州歴史委員会はウェーコ吊り橋の引退を判断しました。
この橋によってウェーコの町は、小さな開拓の町から、主要な商業の中心地にと発展する事が出来ました。今日、この橋は徒歩での通行のみと成っています。国立史跡登録が成されています。≫
ウェーコ吊橋1.jpg
(約3万個の地元産煉瓦で造られた、重量感のある対の二重構造主塔)

下を流れる「ブラゾス川」についての、少し調べていました。
このブラゾス川はアメリカ合衆国を流れる川の中で、長さが1,390kmで14番目にランクします。日本の川で流路延長が一番長い信濃川でも、367kmですから、比較になりません。ちなみに合衆国で一番長い川は、ミズリー川で、3,768kmにもなります。
≪ブラゾス川はテキサス州を流れる大きな川の一つで、かつては東テキサスと西テキサスの境界を示すために使用された事も有ります。川はテキサスの歴史、特にオースティンも入植地と、テキサス革命の時代と密接に関連していた。≫との説明が有りました。

日本とアメリカとでは、国土面積が比較になりませんので、参考になりませんが、栃木県内の吊り橋で同じような規模の物は無いか探しましたが、チョッと見当たりません。現在は架け替えられて姿を消しましたが、日光市足尾町の渡良瀬渓谷に掛けられていた吊り橋が思い浮かびました。
砂畑橋(渡良瀬川).jpg砂畑橋(渡良瀬川)2.jpg
(日光市足尾町、渡良瀬川に架かっていた旧砂畑橋)

この吊橋の写真は、2002年2月に撮影したもので、青空に白亜の門構えのケーブルを吊る主塔が印象的でした。竣工は主塔部分に銘板が有り、「昭和三十八年三月竣工」と表示されていました。自動車一台通過するのがやっとでした。残念ながら2010年3月に現在の橋(桁橋)に架け替えられ、残念ですが吊り橋は姿を消しました。

テキサス州ウェーコの吊り橋は、この砂畑橋より約100年前に架橋されたものですが、スクラップ&ビルドのアメリカにて、現在まで保護され残されて来ているのも感動です。
グーグルマップには、このウェーコ・サスペンション・ブリッジの表示の下には、ランドマーク・ブリッジと付記されていました。この吊橋はまさに、ウェーコ市の象徴と成る建造物だったのです。
再度、訪れて見たいと思いますが。

参考資料:グーグルマップ
       ウィキペディア「アメリカ合衆国の河川の一覧」「ウェーコ(テキサス州)」など

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