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栃木市嘉右衛門町通りにかわいい例幣使の行列が

本日、栃木市嘉右衛門町通りの、油伝味噌店より岡田記念館(代官屋敷)までの間で、地元の栃木第三小学校の4年生の児童による、「子ども例幣使行列」が行われました。
畠山陣屋跡前を通過する例幣使行列.jpg
(岡田記念館の畠山陣屋跡の前を進む「子ども例幣使行列」)

日光例幣使は江戸時代、正保4年(1647)から毎年4月の日光東照宮の例大祭に奉幣する為に、朝廷から派遣された奉幣使で、慶応3年(1867)まで221年間、1回の休みも無く続けられました。
日光例幣使は、毎年4月1日に京都を発って中山道を下り、上野国の倉賀野宿にて中山道より分かれて、佐野の天明宿から犬伏を抜けて私達の栃木市に入り、岩舟町・大平町そして栃木の市街地中心を抜けて、ここ嘉右衛門町通りに入って来ます。
嘉右衛門町通りを抜けた先は、都賀町・西方町を抜け、鹿沼市楡木にて日光西街道(壬生通り)に合わさり、4月15日に日光に到着するのが慣例に成っていました。
平澤商事前を通過する例幣使行列.jpg
(嘉右衛門町通りの老舗の一つ平澤商事前を通過する「子ども例幣使行列」)

この「子ども例幣使行列」は今年で4回目になるそうです。かつて日光例幣使街道となった、嘉右衛門町通りの有る地元、栃木第三小学校の4年生の児童が、「郷土の歴史」の学習の中で、自ら例幣使の行列に扮して、かつての例幣使街道に思いを馳せる。参加した児童達はどのような思いを感じたでしょうか。
その「子ども例幣使行列」の先に立ち、横や後ろに立って行列を見守る、印半纏を着た人達がいます。
この嘉右衛門町の通りは、普段は人の通りも少なくひっそりとした感じの通りですが、今日はこの子供達の行列を見に来た、児童の家族の人達や、御近所の皆さんで大混雑に成りました、その見物客の群れが行列の進行と共に移動、次第に人の群れが大きく成って行きます。そして私が予想していた以上に、この通りの自動車の通行量も激しく交通の整理も大変そうに感じました。
交通整理する旦那衆.jpg
(行列の周囲で通行車の誘導や見物人の整理をする、印半纏を着た旦那衆)

印半纏を着た人達は、この行事を共催している「栃木の例幣使街道を考える会」や、「嘉右衛門町伝建地区まちづくり協議会」の皆さんでしょうか、地元自治会やコミュニティーの会長さん、そして嘉右衛門町通りの老舗の店主の顔も見えます。
「子ども例幣使行列」に寄り添って、見物人の整理や案内、通行する車の誘導等を行い、子供達の行列が安全に進むように見守っておられました。こうして一つの行事を通して多くの人達が協力し、大きな輪になっている事を今回感じる事が出来ました。今後ともこの「子ども例幣使行列」が恒例となり、人と人との交流の場のひとつに成ればと思いました。
嘉右衛門町通りの旦那衆.jpg
(行列途中の休憩で、嘉右衛門町神明神社前で記念写真に写る印半纏の旦那衆)

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