SSブログ

無法松之碑 [石碑]

この間の三連休を利用して、九州に旅しました。
北九州空港からバスに乗ると、JR小倉駅には40分程で到着します。
小倉駅南口前に、祇園太鼓のモニュメントが有ります。
小倉祇園の像.jpg
台座部に「小倉祇園太鼓」の説明文が刻されています。
小倉祇園太鼓の説明.jpg
<小倉祇園は豪快にして優雅な北九州年中行事の花である。起源は細川三斉公の築城の頃に発し、小笠原氏の入国後はさらに盛大になり 歴史を重ねてこんにちに至った。三百年の傳統と光栄にかがやくゆかしい文化財である。毎年七月十一日十二日の両日におこなわれる祭禮には全市に祇園太鼓の列があふれ、老若、技を競って打ち鳴らす。父祖伝来のばちさばきは勇壮軽妙 千変万化して 見る者をして恍惚たらしめるものがある。梅雨あけの空にとどろく太鼓のひびき、山車の上にゆれる笹ちょうちんの灯、太鼓祇園の光景は城下町小倉の美しい情緒を傳えてあますところがない。>と。

小倉祇園太鼓について、今年の祭ガイドブックから抜粋させて頂くと、
<小倉祇園太鼓は、全国的にも珍しい両面打ちです。巡行する山車の前後に据えた太鼓と、ヂャンガラ(摺り鉦)が織りなす独特の調べが特徴で、太鼓は皮の張り方により面の音が異なります。低く腹に響く音がする面を「ドロ」、甲高い音の面を「カン」といい、軽やかな音で踊るように打ちます。二つの音をヂャンガラに合わせて「品良く力いっぱい打つ、地味に叩いて良く鳴らす」というのが正調です。>となります。駅前の「祇園太鼓」のモニュメントも三人構成になっています。

新型コロナ感染拡大の影響を受けて2年連続中止を余儀なくされていた祭も、今年は3年ぶりで復活しました。私が小倉に到着した日は、「宵祇園」に当り、夕方から町内各所で太鼓の音が鳴り響いていました。私も太鼓の音に引かれて、宿所を出て近所の公園や街中での、小倉祇園太鼓の演奏に酔いしれてきました。
太鼓共演1.jpg
町内廻り.jpg
 
小倉祇園太鼓と言うと、映画「無法松の一生」が思い出されます。私が子供の頃に両親に連れられて、映画館に見に行った記憶が有ります。
歌謡曲にも、村田英雄のデビューシングル「無法松の一生」が、1958年7月に発売されています。

この「無法松」と呼ばれた人物は、小倉の作家岩下俊作の小説「富島松五郎伝」の中に作り出された架空の人物、人力車の車夫「松五郎」です。
<小倉、古船場の木賃宿宇和島屋を寝ぐらとする人力車夫、富島松五郎は度胸の良さと喧嘩っ早さから「無法松」と呼ばれていた。ある時、怪我をして泣いていた子供を家へ連れて行き、吉岡大尉の夫人、良子に一目惚れをしてしまう。或る年の祇園祭りの夜、松五郎は内に秘めた恋心を祇園太鼓にたくし、敏雄と教師の前で見事な妙技を披露する。・・・・>(富島松五郎伝より)
私が見た映画では、松五郎を演じた三船敏郎が、撥さばき鮮やかに太鼓を打つ姿が思い出されます。「これが祇園太鼓の流れ打ちだ!」 「今度は勇み駒だ!」 「今度は暴れ打ちだ!」 と、太鼓のリズムは急ピッチにエスカレートしていく。

今年の4月19日未明の「旦過市場」の火災は、テレビニュースにもなり周知のとおりですが、この旦過市場の横を流れる「神嶽川(かんだけがわ)」を上流側に少し遡上した点に架かる「天満橋」の右岸、古船場町側に「無法松之碑」が建てられています。
無法松之碑全景.jpg
正面の石碑には、「無法松の一生」の原作「富島松五郎伝」の作家、岩下俊作が書いた「無法松之碑」の文字が碑面一杯に、大きく・力強く刻まれています。石碑裏側には、「昭和三十四年三月四日」の日付が刻まれています。石碑が建立された時期でしょうか。この日付の前年、1958年(昭和33年)4月22日公開された三船敏郎主演の映画が、その年の第19回ベネチア国際映画祭で最高の「金獅子賞」を受賞しています。

無法松之碑太鼓左.jpg無法松之碑太鼓右.jpg

街中にいつまでも響く太鼓とヂャンガラの音に、後ろ髪を引かれつつ宿所に戻りました。

今回参考にした資料:
・2022小倉祇園太鼓ガイドブック
・「日本名作シナリオ選 上巻」日本シナリオ作家協会発行

nice!(0)  コメント(0)