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地図を楽しむ [コレクション]

現代の生活において、地図は無くてはならないものになっている。自動車で出かければ、カーナビ無しでは容易に目的地にたどり着くことは出来ません。
観光地でも、美味しいレストランや名所旧跡の場所も携帯電話の検索アプリで探すことが出来ます。
「グーグルマップ」を利用すれば世界中どこへでも、疑似旅行体験が出来てしまいます。
パソコンの前に一日座っていても、地図を見ていると飽きる事が有りません。

私と地図の出会いは20代にさかのぼる。もちろん小学生から学校で地図を見ていたが、地図と現地を見比べると言う作業は「オリエンテーリング」と言う競技を知った時からです。
最近はあまり見かけなくなってしまいましたが、私の20代は日本中に「オリエンテーリング」のパーマネントコースが設定されて、誰でも簡単に行ってコースを歩いて楽しむことが出来ました。
OLバッチ3.jpgOLバッチ2.jpgOLバッチ1.jpg
(栃木市民オリエンテーリング大会参加記念バッチ、他)

OLバッチ4.jpgOLバッチ5.jpgOLバッチ6.jpg
(栃木県内で開催された大会の記念バッチ)
「オリエンテーリング」は予め設定されたコースを記した地図と専用のコンパスを使用して、一人またはチームで指定されたポイントを探し、スタンプラリーの如く回って、より早くゴールする競技です。
OLコンパス.jpg
(OL専用コンパス)
起源は19世紀中頃スウェーデン軍が訓練の一環として始めたものと言われています。日本に1970年代輸入された時「国民体力づくり運動」の一環としてレクリェーション手段として、PR・普及させたため「グループ競技」が一般に普及しました。私の場合も最初は新社会人研修会の中で、チーム対抗競技として参加しています。
1977年3月に栃木県黒磯市(当時)で全国オリエンテーリング大会が開催されました。私もこの時は運営スタッフとして、スタート・ゴールの手伝いをしましたが、さすがにこの時の大会は個人競技で「クロスカントリー走」の様に選手は走り出していきました。
OL大会0.jpgOL大会1.jpg
(黒磯で開催された全国大会のスタートとゴールの様子)
栃木市にも太平山を中心にパーマネントコースが設定されました。今では無くなってしまいましたが、永野川沿いの「栃木市民プール」の駐車場付近をスタート・ゴールにして何度か栃木市民大会も開催されました。
こちらは、家族連れや友達同士のグループ参加で歩いて回るレクリェーションの要素が強かったです。
OL大会2.jpgOL大会3.jpg
(太平山中をポイントを探し回る子供達)    (大会後の表彰式の様子)
その様な経験から、地図を読んで現地の様子を窺い知る楽しみを覚えました。現在は地元の古い地図を見て、今も変わらず残っている所とか、逆にまったく変化してしまった所とか、栃木市内を歩き回って、一人楽しんでおります。

昨年(2014年)3月、宇都宮市にて「伊能忠敬展」が開催されましたが、地図好きの私としては当然出かけて行きました。広い体育館の床に並べられた伊能忠敬による日本全図を直に乗って見る事が出来ました。
海岸線の形は、現在の地図と見ている様に思えました。
伊能忠敬展0.jpg伊能忠敬展1.jpg
(展示会にて頂いたポスター)          (展示会の様子)
下野国に関しては奥州街道(江戸から宇都宮までは日光街道)1本しか記されていません、残念ながら日光例幣使街道は有りませんでした。当然「栃木」の地名は出ていませんでした。
伊能地図0.jpg伊能地図1.jpg

一昨日、新たに明治20年発行20万分1の「宇都宮」の地図を入手しました。
暫らくは、この地図を眺めて楽しむことが出来ます。


私のスプーンコレクション2 [コレクション]

昨日に続いてもう少しスプーンコレクション。
アジアの国でもお土産店に行くと観光用のご当地スプーンが売られています。
上海0.jpgムエタイ.jpgタイ楽器を奏でる.jpg
中国はやはりパンダでしょうか。タイランドの国技はタイ式ボクシング(ムエタイ)、そしてバンコクの街中を走り回る「トゥクトゥク」、そして観光客にとってはゾウに乗れるのも楽しみの一つでしょうか。スプーンに描かれている物は、ゾウに乗ってポロをしている所ですね。ゾウ保護活動の一環として「国王杯」も有るそうです。
トゥクトゥク.jpg像3.jpg像2.jpgお釈迦様.jpg
タイ王国は仏教徒の国だけにお釈迦様をデザインしたスプーンも有ります。

スプーンは観光用だけでなく、「幸せをすくう」という事で、お祝いや記念日のプレゼントとして、欧米では古くから使われているようです。
LOVE.jpgハッピバースデイ.jpg青色.jpg赤色.jpg
日本でも最近は記念品としてのスプーンを贈ることも、増えてきた気がします。
最後に変わった所で「1952 DATSUN SPORTS」と記したスプーン。プレゼントで頂きました。
ダットサン0.jpg

私のスプーンコレクション [コレクション]

旅行に行って良く買うお土産と言うと、昔はその土地の「こけし」とか「お饅頭」とかでした。
一時、「提灯」や「ペナント」など買い集めて部屋に飾ったりと言うものも有りました。
そして「観光テレホンカード」、これは携帯電話が普及した今となっては、無くなってしまいましたね。
最近は何が好まれるのでしょうか。ユルキャラグッツ、「ふなっしー」などは色々でています。
キーホルダーはいつでも人気度は高いですね。

日本国内ではあまり見ないのはスプーンのお土産です。でも海外では結構お安く買える物で、それほどがさばる物でもないし、壊れるものでもないので、手ごろなお土産だと思います。

つくば0.jpgミッキー0.jpgミッキー1.jpg
上は、1985年に開催された「つくば科学博(EXPO’85)」の記念グッツの一つ、そして東京デズニーランドのお土産、ミッキーマウスの付いたスプーン。これらは海外の観光客が多い会場ですから、人気も有ったのではないでしょうか。
日本0.jpg東京0.jpg富士山0.jpg舞子0.jpg
成田空港のお土産ショップで目にするのが、日本のシンボリックなデザインのスプーン。
富士山・東京タワー・桜・五重塔そして舞妓さんなど、他にも浮世絵を取り込んだ物も有るようです。
海外の友人へのお土産とか、外国人観光客には嬉しい一品だと思います。
素材はステンレス鋼、素材そのままでも十分綺麗ですが、そこに金メッキを施したものも多いです。

次は海外のお土産も少し紹介します。
パイナップル0.jpgパイナップル1.jpgフラダンス0.jpgケーブルカー0.jpgケーブルカー1.jpg
アメリカの観光地と言えば、「常夏の島ハワイ」とか「西海岸・サンフランシスコ」、ハワイと言えばフラダンスでしょうか、このパイナップルのスプーンもかわいいデザインです。サンフランシスコのケーブルカーのデザインもこっています。他にも「金門橋」をデザインしたものなど、ただし中には日本製も良くあります。
テキサス0.jpgテキサス1.jpgTEXAS0.jpgTEXAS1.jpgTEXAS2.jpg
合衆国の南部、メキシコ湾に面して離れているアラスカ州に次いでアメリカで二番目の面積を持つテキサス州、テキサス州の形を表わしたデザインも多く見られます。又、テキサスと言えばカウボーイと言うイメージです。ロデオをデザインしたスプーンはとても多いです。そしてローンスター(一つ星)。テキサス州の州の旗も星が一つ輝いています。
バッファロー.jpgダラス0.jpgダラス1.jpg
テキサス州の北東にダラスと言う町が有ります。この町の名前を衝撃的に印象付けた事件が有ります。1978年11月22日アメリカ合衆国第35代大統領、ジョン・F・ケネディが市内パレード中に銃で暗殺された所です。スプーンの上に乗っている建物は、ダラスのシンボル、「リユニオンタワー」です。「神様のゴルフボール」などとも言われ1978年にオープンしました。ここのタワーの展望台から見るダラスの夜景は素晴らしいと言われています。
銀メッキの物は手入れしないと、どんどん黒ずんでしまいます。

男は何でも集めたくなる。 [コレクション]

私は何でもコレクションする癖が有ります。これ、男の本能かも。そのくせ私の場合どれも中途半端に終わってしまいます。
子供の頃は「切手の収集」、20代は「テレホンカード」、30代以降は「ビア缶」「スプーン」などが代表的な物。その他にも色々と集めてはそのまま飽きてしまいます。
ビア缶収集.jpgスプーン収集.jpg
平凡な勤労者の給料では書画骨董の様な、お金の掛かるコレクターには到底なれません。又、そんな美術工芸品の良し悪しを目利きする才も有りません。
という事でお金の掛からない収集を始めました。栃木市内の河川に架けられた橋の名前を写真に撮って集めることです。「なに、それ」と思われるかも知れません。それでも始めると結構大変な作業です。
市内もこの平成の大合併で岩舟町まで含まれて来ました。対象となる河川もこれまで知らなかった物も沢山有るからです。又今までの場所でも新しい橋が架けられたり、無くなってしまったり。
橋が架かっていても、名前の表示のない橋も沢山あります。残念ながらこれらは対象外です。地元の人に聞けばきっと普段呼ばれてる名前が有るのでしょうが。
又非常に残念なのは、橋のネームプレートが外されてしまっている物も最近多くなっている事です。私が確認した橋の中にも、再度見に行くとネームプレートが無くなってしまっている所が有りました。
橋名収集1.jpg橋名収集0.jpg
(2010年5月に撮影)
橋名収集2.jpg
(2013年6月に撮影)
それから、道路の拡幅工事等で橋自体が無くなってしまった所も多くなっています。昔は幅の狭い河川でも小さな橋が架けられ、橋柱に橋名がしっかり彫られていた物が道路は広くなり、川は暗渠化されてしまいます。
赤津川橋(1991年)1.jpg赤津川橋、橋名表示.jpg
(箱森町、旧赤津川に架かる赤津川橋、1991年に撮影、今は有りません。)
赤津川橋(1991年)4.jpg2013年6月旧赤津川橋(下流側より).jpg
(1991年の赤津川橋付近と2013年に同じ場所を比較撮影、背景の家は変わりません)
最近箱森町のイオンから新栃木駅へ抜ける幅の広い道路が出来、通行が便利になりました。それに伴い以前、箱森町の十二社から新栃木駅に通じていた道路に架けられていた橋、6ヶ所の内3ヶ所が無くなりました。
現在は土木技術も発達して簡単に立派な橋が作られるようになりました。防災の為に河川改修もドンドン実施され、河川環境もずいぶん改善されています。その中で消えて行く橋の風景、変わって行く橋の風景を私のコレクションで残していこうと考えています。
幸来橋(1991年6月).jpg1980年頃幸来橋.jpg
(大正14年7月竣工の架け替え前の幸来橋)
2000年幸来橋.jpg2013年6月幸来橋、橋名表示.jpg
(平成4年11月竣工の現在の幸来橋、栃木市観光の中心)
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