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栃木市ダックレース見てしまいました。 [栃木市の河川と橋]

今日、用事が出来た為、久しぶりに自転車に乗って栃木の街に出かけました。
巴波川の脇の道を通るとチョッとした人の群れが。
何だろうと巴波川の川面を見ると、何やら無数の黄色い物体が流れていました。みかんの様な。
ダッグレース2.jpg

良く見てみると、樹脂製のアヒルが大量に流れています。良く子供が湯船に浮かべて遊ぶおもちゃです。
何時もバックに入れて持ち歩いているカメラを取り出し、早速撮影しました。
ダッグレース1.jpg

対岸の柵に張られた横断幕を見ると、「TOCHIGI Duck Race」の文字が。
プラスチック製のアヒルを川に流して、競争させている様です。
ひとつひとつのアヒルさんを見ると、ひっくり返って腹を上にしたまま流されているもの、ごちゃごちゃかたまって流れるもの、一匹離れているもの、川岸につかえて係員に助けられているもの、色々です。
同時にスタートしたのでしょうが、それでもアヒルの列は長く伸びています。どこで差が付いたのでしょうか。
そんな事を考えて流れて行くアヒルさんを見ていると、チョッと心がほっこりします。

そしたらこんな看板を目にしました。
ダッグレース3.jpg
「巴波川沿いでのレース観覧や応援等はお控えください。」と。
知らずに見ていましたが、見てはいけないものを見てしまったような、少し気恥ずかしくなり、その場を後にしました。
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三杉川の橋巡り④ [栃木市の河川と橋]

三杉川の橋巡りも、今回で4回目。
前回は頑張って、9カ所の橋を巡って来ました。前回は下岡に架かる「下岡橋」まで見て来ました。
下岡を抜けるといよいよ栃木市岩舟町の西端「古江」の集落に流れて行きます。
「下岡橋」から南流する事500メートル余りで、下岡と古江の境界に至ります。
三杉川はそこで90度流れを東方向に変えます。
樋の口橋南側より.jpg
(右側の橋が「樋の口橋」、中央の流れが三杉川。奥左の小丘が上岡、右が下岡)

川の左岸に沿って走る道路はそこで三杉川と交差する形と成り、橋が架けられます。「樋の口橋」です。
樋の口橋1.jpg樋の口橋橋名板.jpg
鉄筋コンクリート製桁橋で、橋桁中央部にこれまたコンクリート製のガッチリとした橋脚が橋桁を支えています。親柱はガッチリとした直方体のコンクリート製で、その一ヶ所に竣工年月を記した銘板が埋め込まれています。「昭和三十一年二月竣功」となっています。橋の南東側橋詰に「堤塘擴張工事記念碑」「大正十一年五月」「大字古江」と刻した石碑が建てられています。他に「小野寺経栃木町二里半」側面に「御成婚記念」と刻した道標も建てられています。
樋の口橋西側より.jpg樋の口橋2.jpg

三杉川はこの「樋の口橋」の下流で直角に折れるように再び南流をします。そしてその曲がった先に橋の幅員が1.5メートル程の人道橋が架かっています。橋桁には木製の丸太が使われており、まさに土橋の造りになっています。
番場橋1.jpg番場橋2.jpg
橋名は「番場橋」、大字古江の字名に番場という地名が有り、その地名から命名されたものと思われます。

この後、三杉川は大字古江と東隣りの大字新里との境界線として田圃の中を南流して行きますが、古江の集落の東端で東西に横断のする、市道1052号線の三杉川に架かる「東川橋」のしたを潜り、南に望む三毳山に向かって流れて行きます。
東川橋1.jpg東川橋橋名板.jpg
東川橋2.jpg
(東川橋より下流方向、三毳山を望む。最高峰は229メートルの青龍ヶ岳)

写真に写る三毳山の左側山裾にこんもりとした小丘(標高55メートル)が見える。「天狗山」と言います。
明治32年11月に当時の栃木町を中心に栃木第二中学校(現在の県立栃木高等学校)を行在所として実施された、近衛師団小機動演習の演習場の一ヶ所で、この天狗山の山頂を御野立に三杉川流域を中心に繰り広げられた演習をご覧になられています。
この件に関しては、この巴波川日記2018年5月22日の「草むらに埋もれる石碑の残骸」にて記しています。

三杉川はこの後三毳山に向かって流れ、三毳山北麓を東西に走るJR両毛線の手前で西南西に流れを変え、そこから両毛線の線路と平行して、西隣の佐野市へと流れて行きます。
此の流れを変えた場所で、東側から三杉川左岸に小河川が合流しています。これは三杉川の支流のひとつ「谷田川」です。
谷田川の上流は岩舟総合運動公園の北方の山の中に至ります。この谷田川には公園内を縦貫する間、多くの橋が架けられました。上流側から紹介すると「希望橋」「桜橋」「コスモス橋」「かたらい橋」そして「出会橋」です。
希望の橋1.jpg希望橋2.jpg
桜橋1.jpg桜橋2.jpg
こすもす橋.jpgこすもす橋2.jpg
かたらい橋1.jpgかたらい橋2.jpg
出会い橋1.jpg出会い橋2.jpg
谷田川を合わせた後、西南西に260メートル程流れた所に、小野寺地区での最後の橋「三杉橋」が有ります。
三杉橋3.jpg三杉橋4.jpg
(左側道路の先に新しい「三杉橋」、右側道路は前の橋の取り付け道だった。旧橋は撤去済)

この橋は三杉川に架かっている橋の中では、一番新しい橋(2016年2月竣工)に成ります。
三杉橋1.jpg
(小野寺地区を流れる三杉川に架けられた最後の橋「三杉橋」奥に岩舟山を望む)
三杉橋2.jpg
(三杉川の下流方向を望む。右岸側は栃木市岩舟町古江、左岸側佐野市町谷町です。)

今回巡った三杉川に架かる橋、4ヶ所の位置を又頑張って模式図に表してみました。参考に見て下さい。
三杉川古江付近の模式図.jpg

三杉川はここで一旦栃木市から離れ、佐野市内を流れることに成ります。
何時か佐野市内を流れる三杉川についても、巡ってみたいと思います。


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三杉川の橋巡り③ [栃木市の河川と橋]

今回も市内を流れる三杉川に架かる橋を巡って行きたいと思います。
1回目、2回目とも寄り道も有って、1回で三杉川に架かる橋を3橋づつしか回れなかった。今回は少しスピードアップして、多くの橋を巡って行きたいと思います。

早速、前回最後に見た「中妻南橋」の下流に架かる橋を探していきます。
「中妻南橋」を渡ると直ぐ東北自動車道のアンダーになりますが、その手前に三杉川の左岸に沿って細い道が通っています。その道を350メートル程進むと鋼桁橋が現れました。「杉本橋」です。
7杉本橋.jpg
(「中妻南橋」から下流側350メートルに架かる「杉本橋」)
橋長は11メートル弱、幅員3メートルと小ぶりです。現在の橋は1982年に架けられていますが、地形図上ではそれ以前より橋が有った事が確認出来ます。ただ橋名の「杉本」は何から命名されたものか、架橋地点の字名は「上耕地」としか確認できません。気になるのは周辺に「杉本」と言う姓のお宅が何軒か確認出来、それらとの関係性が有るのか、もう少し調査が必要です。
先を急ぎます。三杉川はこの後東北自動車道の下を抜けて東側に流れて行きます。そこで東北自動車道のアンダーを抜けて、東側に沿って走る側道に出て南に進み、次の橋を目指します。
この側道は最初の「中妻南橋」から東北自動車道のアンダーを抜けて来た道路に成ります。側道上に橋が現れました。
この橋も鋼桁橋です。橋の長さは23メートルと三杉川に架かる橋としては比較的長くなっています。幅員はガードレールタイプの高欄間は4メートルほど有りそうですが、橋詰に建つ道路標識には「2.0t」「2.2m」と表示されています。橋長が長い割りに橋の中程に有る橋脚が心もとなく、その為耐荷重が2トンしか無い為、大型車両の通行には耐えられないのでしょう。
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(鋼製の桁を支える橋脚が何とも心もとない)
そこで橋自体の幅員は4メートル有る所、その橋の両側に幅員2.2メートルに抑える鉄パイプのポールを設置して通行制限を行っている様です。実際ポールは根元からへし曲げられていますが、それでもコンクリート製のブロックが頑張っています。
8中川原橋.jpg
(東北自動車道側道に架かる「中川原橋」、南側から撮影)

橋の名前は「中川原橋」、架橋場所の字名から命名された様です。直ぐ脇の東北自動車道の高架橋に掲示されている占用許可標識に<岩舟町大字小野寺字中川原地先>の場所名が確認出来ます。

次の橋は側道をそのまま南に進んで行くと、道路の左手に見えてきます。私が行ったときは丁度橋の高欄の付け替え工事の真っ最中でした。
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(高欄付け替え工事中の「石橋橋」)

橋の名前は「石橋橋」で、石橋は現地の字名になります。昔この辺に石の橋が架けられていてそこから地名が「石橋」と成って、今度は石橋に架かる橋に成るから「石橋橋」となった訳。こんな命名は他にも有ります。栃木市柏倉町の藤川には、「土橋橋」と名付けられた橋が有ります。命名の経緯は同じでしょう。現在架かる橋はきちんと高欄の有るコンクリート橋ですが「土橋橋」です。
土橋橋.jpg
(栃木市柏倉町の「土橋橋」)

先に進みます。又、側道を真っ直ぐ南進して行くと、Y字路が現れますのでここで側道から外れ、左の道を200メートルほど行った所で又、三杉川の橋を渡ることに成ります。今回4番目の橋は「小野寺橋」です。
現在の橋は昭和34年(1959)3月に竣功したもので、橋の上流側左岸に「小野寺橋竣工記念碑」が建てられています。
10小野寺橋.jpg10小野寺橋竣功記念碑.jpg
(「小野寺橋」と上流側左岸に建つ竣工記念碑)
題字は昭和10年12月から10年間小野寺村村長だった野尻金一郎氏によるものです。

5番目の橋は「小名路橋」です。「小名路」は大字小野寺の小字の一つに成ります。橋長18.7メートル、有効幅員6.5メートル、昭和57年(1982)3月に竣工しています。
11小名路橋1.jpg11小名路橋橋名板.jpg
(「小名路橋」橋詰より下流側を望む。写真左側は上岡の小丘)

三杉川はこの「小名路橋」から一直線に南流して上岡の小丘に遮られ、流路を小丘の西側に変えています。
この直線状の河道は昭和59年頃人工的に開鑿されたもので、それ以前は小名路橋の下流から「く」の字に西方向に蛇行していました。橋の西詰から南西方向に走る道路は旧河道の右岸に沿っていた道路の残りです。
11小名路橋2.jpg
(かつての三杉川の河道は、写真右側に見える道路に沿って南西方向に蛇行していました)

新しい河道は「く」の字の上下を結んだ直線状で、その間約100メートルの間隔で、6番目の橋「湊橋」そして7番目の橋「新小名路橋」と、三つの橋が並んでいます。
12湊橋.jpg12湊橋銘板.jpg
(下流側に架かる「新小名路橋」より上流「湊橋」とその上「小名路橋」を望む)

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(「新小名路橋」 後方の山並みは唐沢山地、その手前に「岩舟JCT」を望む)

三杉川は上岡の小丘の西麓を蛇行しつつ更に南流しています。そして上岡の地で架かる「上岡橋」そしてその下流下岡に架かる「下岡橋」を潜り、岩舟町古江に向かって流れて行きます。
14上岡橋.jpg14上岡橋竣功記念碑.jpg
(「上岡橋」橋詰の桜の古木とその脇に建つ「上岡橋竣功記念碑」)

以前来た時は、橋の袂の桜の古木が満開でした。桜の木の横に建つ石碑には「上岡橋竣功記念碑」と刻されています。碑陰には「昭和三十年三月竣工」「総工費七拾万圓也」等の文字が確認出来ます。
又、桜の咲く頃に訪れたいですね。

橋を渡らずに、先ほどの道路を更に南下して行くと、三杉川が左手から右手方向に流れて行きます。架かる橋は土地名を採った「下岡橋」に成ります。ここで今回9橋目に成ります。
この橋の写真は17年前にも撮影しています。現在の橋は2005年1月竣工です。

15旧下岡橋.jpg15現下岡橋.jpg
(1993年11月撮影の「下岡橋」と2005年1月竣工の現在の「下岡橋」)

今回はここまでにします。今回の9橋の位置関係が判る様に頑張って模式図に表してみました。少し小さくて見にくいでしょうが、参考にして下さい。図の右手方向が北になっていますので、三杉川はこの間北から南に蛇行しつつ流れています。
三杉川中流域北部模式図.jpg
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