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とちぎ橋カード集めました。 [コレクション]

栃木県では昨年の4月から6月にかけて実施した、「本物の出会い栃木 デエスティネーションキャンペーン」から一年経った現在、「アフターデエスティネーションキャンペーン」を展開しています。その一環として各種インフラカードとそれらの収集したカードを入れる専用ホルダーをキャンペーン期間中、無料配布を行っています。
配布を行っているカードの種類は、「ダムカード、17種類」「とちぎ橋カード、24種類」「とちぎ公園カード、12種類」「マンホールカード、10種類」です。
ダムカード(表).jpgダムカード(裏).jpg
(ダムカード)                      (ダムカード裏面)
橋カード(表).jpg橋カード(裏).jpg
(とちぎ橋カード)                    (橋カード裏面)
公園カード(表).jpg公園カード(裏).jpg
(とちぎ公園カード)                  (公園カード裏面)
マンホールカード(表).jpgマンホールカード(裏).jpg
(マンホールカード)             (マンホールカード裏面)
※マンホールカードは期間配布ではなく、通年配布されています。在庫が無くなっても補充再配布が予定されていますので、その間待てば後日入手する事は可能なカードに成ります。

これらのカードの全てを収集することは、大変ですのでせめて私の好きな「橋」を対象にした、「とちぎ橋カード」だけは是非集めようと県内を、東奔西走して来ました。そして先日、県北地区の「那須」「黒磯」「大田原」を回って、24枚を収集完了する事が出来ました。そして専用ホルダーもゲットしていました。
橋カードホルダー表紙.jpg橋カードホルダー裏表紙.jpg
(とちぎ橋カード専用ホルダー表紙)        (とちぎ橋カード専用ホルダー裏表紙)
橋カードホルダー1頁.jpg橋カードホルダー2頁.jpg橋カードホルダー3頁.jpg
(収集したカード24枚をホルダーに収めました)

これらのカードの外にも、現在栃木市内の観光施設で無料配布しているカードが有ります。地元で入手できるので、さっそく貰ってきました。
その一つが「歴コレ2019」と銘したカードで、「とちぎ県南地域歴史文化財コレクション」として、足利市・栃木市・佐野市・小山市・下野市・壬生町・野木町の7市町で配布しています。
歴コレカード(表).jpg歴コレカード(裏).jpg
(歴コレ2019カード)                 (歴コレ2019カード裏面)      
そしてもう一つのカードが、「歴まちカード」と言う全国展開のカードです。このカードは現在の所栃木県内では、栃木市と下野市の2か所のみの配布のようです。
歴まちカード(表).jpg歴まちカード(裏).jpg
(歴まちカード)                      (歴まちカード裏面)

カードの裏面に記されているデータや豆知識には、インフラ施設ならではの専門的な用語が並びますが、へーーそうなんだと思わず感心するような情報が満杯です。
これらのカードは現地に行かなければ入手する事が出来ませんが、カード配布先周辺での観光で思わぬ風景に出合うことが出来ました。
キャンペーン期間は6月末までです。興味が有ったら是非ゲットしては如何ですか。


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栃木市にコーヒー店が増えています。 [食]

今日、栃木市大通りに面した元栃木警察署跡にて、「Tochigi Coffee Town -Take Root- 」と、銘打ったイベントが開催されました。
日中は結構な暑さだったので、少し日が西に傾くころに、ぶらっと家を出て会場に向かいました。その時はすでに5時半を回っていましたが、会場にはまだ沢山の人がおりましたが、数件の出店者は片付けを始めていました。
珈琲祭1.jpg
珈琲祭3.jpg珈琲祭2.jpg
珈琲祭4.jpg

入口にて「出展者配置図」を受け取って、まず会場を一回りして見てから、さてどこのコーヒーを頂くか。
コーヒー店は22店舗、時間が時間だけに、人だかりは有りますが、行列はもう出来ていません。
昨年、神明宮の境内や第二公園を会場に行われたコーヒーフェスティバルでは、「日光珈琲」さんと「悟理道珈琲」さんを頂きました、今回は他のお店のコーヒーを試すことに。悩んだ末に配置図の[C1:湯澤珈琲」さんを頂きました。
湯澤珈琲1.jpg湯澤珈琲2.jpg湯澤珈琲3.jpg
(湯澤珈琲さん)

普段はインスタントコーヒーしか飲みませんが、こうして丁寧に作ってくれたコーヒーはとても美味しく飲みやすかったです。

今、栃木の街中を歩いていると、珈琲専門店が増えてきているように、感じています。
日が暮れた後のんびり市街地ウォーキングをしていると、少ない人通りに暖かい光が漏れているのが、これらの珈琲店の明かりです。
スターバックスコーヒー1.jpg陶珈沙1.jpg
(スターバックスコーヒー栃木倭町店さん)      (陶珈沙さん)
パーラートチギ1.jpg日光珈琲1.jpg
(パーラートチギさん)                   (日光珈琲 蔵の街さん)
Goridou Coffee1.jpgカリオカコーヒー1.jpg
(悟理道珈琲工房さん)                  (自家焙煎キャリオカコーヒーさん)

私も20歳代(今から40年以上も前になってしまいましたが)には、仕事の後、会社帰りにはよく喫茶店によって友達と雑談に花を咲かせていたことが有りました。その頃は市内にも多くの喫茶店が有りました。
私が通っていたのは、今はもう無くなっていますが、片岡写真館の隣に有った「珊瑚」と言う喫茶店でした。
現在も多くの喫茶店が営業を続けているようですが、閉店されたお店も少なくありません。新しい喫茶店も有りますが、相対的には郊外への広がりも見られるところから、喫茶店も増えてきているのかもしれません。


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小山市の摩利支天塚・琵琶塚の両古墳から天平の丘公園周辺を歩く [歩く]

今日、「歴史と文化を歩く会-栃木-」の5月例会にて、小山市の摩利支天塚と琵琶塚の二つの前方後円墳から、下野市の天平の丘公園周辺を歩いて巡ってきました。
まず栃木の街から、歩き始める思川に架かる大光寺橋近くまで、栃木市のふれあいバスを利用して移動しました。
ふれあいバス.jpg大光寺橋プレート.jpg
(思川に架かる大光寺橋近くまでバスで移動)  (大光寺橋から美田東部頭首工を望む)
大光寺橋を渡って歩くのは、現在の橋が完成した渡り初めの日(2016年3月12日)に歩いた以来です。
現在、栃木県ではアフターデスティネーションキャンペーンに合わせて「とちぎ橋カード」24種類を配布していますが、その1枚にこの「大光寺橋」が栃木市で初めてカード化されています。
又、同じく今年小山市が市内の土地改良区が管理している「土地改良施設」の写真をカード化して配布した中に、ここ大光寺橋上流部に設置されている「美田東部頭首工」も有ります。
橋カード.jpg土地改良施設カード.jpg
(大光寺橋のとちぎ橋カード)        (美田東部頭首工の小山市土地改良施設カード)
大光寺橋のカードの写真は、上空からのアングルで、手前が新しい橋でその上流側に、前の橋が写っています。更にその後方に美田東部頭首工も見えます。現在は中央の古い大光寺橋は解体撤去されて無くなっています。このカードの写真は貴重な一枚です。
また、こうしたカードは多くの貴重な情報を提供してくれます。カードの裏面にその施設の構造や歴史など色々な豆知識が載っています。

横道にそれました元に戻します。大光寺橋を渡りきると下野市に入ります。道路の左手に寺院が見えてきます。浄土真宗本願寺派紫雲山蓮華寺です。本堂の手前右側の掲示板に「親鸞聖人花見ヶ岡大蛇済度之縁起」の紹介が有りました。
蓮華寺.jpg大蛇済度の物語.jpg
(紫雲山蓮華寺)                 (掲示板にて見える、大蛇済度之絵伝)

ここから車道から分かれ、右手の細い野道に入ります。「関東ふれあいの道」になります。
関東ふれあいの道1.jpg関東ふれあいの道2.jpg
(入口に建てられた道しるべ)          (途中にも「関東ふれあいの道」の道標が)
20分ほど雑木林や田畑の中の細い道を進むと、再び車道に出ます。県道18号です。この道は「旧日光西街道(壬生通り)」になります。ここを南方向に歩くと早々に道路の両側に小さな塚が現れます、「飯塚一理塚」です。
飯塚一里塚(東).jpg飯塚一里塚(西).jpg
(史跡、飯塚一里塚・東側)                (史跡、飯塚一里塚・西側)
一里塚を過ぎると、街道の東側田畑の先、杉木立が林立する中に、滑らかな曲線を描く前方後円墳が見えてきます。今回の目的地のひとつ、「琵琶塚古墳」です。
日光西街道より琵琶塚古墳を望む.jpg
(旧日光西街道壬生通りから眺める琵琶塚古墳、木立の中に緩やかな曲線を覗かせている)

琵琶塚古墳を横目に、まずはその先に有る同じく前方後円墳の「摩利支天塚古墳を目指して歩きます。

摩利支天塚古墳の頂上には、摩利支天尊を祀った社殿が建てられており、登り口には石の鳥居も建てられています。
摩利支天塚古墳入口.jpg摩利支天塚古墳上に建つ社殿.jpg
(摩利支天塚古墳登り口前に建つ鳥居)  (墳頂に祀られた社殿に向かう石段)
摩利支天塚古墳について、登り口に建つ説明文を紹介すると、
≪摩利支天塚古墳は、隣接する琵琶塚古墳とともに県内で最大の規模を誇る大形の前方後円墳です。後円部の墳頂には後年になって摩利支天社が祠られ、今に至っています。墳丘は自然の微高地を利用して築かれたもので、その周囲には幅20mを越える大規模な周湟がめぐらされています。(中略) この古墳の築造年代は、5世紀末から6世紀初頭と推定されます。(後略)≫
      墳形:前方後円墳  全長:約117m 
      前方部:幅約75m、高さ約7m 
      後円部:直径約70m、高さ約10m 
      昭和53年7月21日、国の史跡に指定されています。
摩利支天塚古墳説明板.jpg摩利支天塚古墳を降りる.jpg
(摩利支天塚古墳の説明板)            (摩利支天塚古墳を後にするメンバー)

次にすぐ北側に有る、琵琶塚古墳に向かいました。
琵琶塚古墳説明板.jpg琵琶塚古墳に登る.jpg
(琵琶塚古墳の説明板)                (琵琶塚古墳を登る)
この古墳は先の摩利支天塚古墳より前の、大正15年2月24日に国の史跡に指定されました。
築造年代は6世紀前半で摩利支天塚古墳に次ぐものと考えられていると、記されています。
古墳の規模は 墳形:前方後円墳  全長:約123m 
          前方部:幅約70m、高さ約9m 
          後円部:直径約75m、高さ約11m 
この日、これらの古墳には多くの見学者が訪れていました。
琵琶塚古墳を見学する小学生達.jpg
(琵琶塚古墳を見学する小学生達)
琵琶塚古墳を降りる.jpg
(琵琶塚古墳を下りる)
東方向からの琵琶塚古墳.jpg
(東方向から望む琵琶塚古墳全容)

昨年(2018)4月にこの琵琶塚古墳の近くに開館した、「国史跡摩利支天塚・琵琶塚古墳資料館」を見学して、下野市の天平の丘公園へ向かいます。
古墳資料館.jpg古墳資料館展示室.jpg
(史跡摩利支天塚・琵琶塚古墳資料館)     (古墳資料館展示室内)
天平の丘公園は、雑木林の中に広がっていました。まず名前が気になる「紫式部の墓」の元に向かいました。
天平の丘公園1.jpg紫式部の墓.jpg      
(天平の丘公園の案内板が有りました)    (「紫式部の墓」と言われる五輪の塔)
「紫式部の墓」と言われる五輪の塔は、鎌倉時代の様式。この地方の豪族が供養塔として建立したものと言われています。この付近は「紫」という地名であることから、そのように言われるようになったと、説明板に記されていました。
天平の丘公園の中を歩いていると、木々の緑が木漏れ日に輝いて気持ちの良い風景に包まれたようです。
天平の丘公園2.jpg 
(天平の丘公園の中は木漏れ日に輝く木々の緑が目に優しかった)

その後は「下野風土記の丘資料館」を見学し、国分寺跡を通ってスタート地点の大光寺橋を目指しました。
しもつけ風土記の丘資料館.jpg大光寺橋.jpg  
(しもつけ風土記の丘資料館)         (スタート地点の大光寺橋を渡る)

本日の歩数は、17,126歩(約1km)でした。
今回の参加者17名、全員最後まで元気で歩き通しました。
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旧喜連川町(栃木県さくら市)の道路元標 [石碑]

先日、栃木県さくら市喜連川へ道路元標の写真を撮るために行ってきました。
これまで「道の駅喜連川」には何度も行っていますが、喜連川の街中に行くのは、今回初めてに成ります。
喜連川は「角川日本地名大辞典9栃木」によると、≪荒川上流域に位置する。地名の由来は、古名を狐川と称し、狐川が喜連川と書くようになったという(旧県史)。喜連川城跡・喜連川館跡がある。喜連川城は倉ケ崎城ともいわれ、規模は長径600m、幅は平均約150mの連郭式山城。文治2年塩谷惟広の築城と伝え、以降塩谷氏累代17代までの城として天正18年まで同氏の本拠であった(県の中世城館跡)。喜連川館は文禄2年から足利氏の居城(同前)。≫と有ります。
現地到着後まづ訪れたのが、「さくら市喜連川庁舎」で、玄関を入ったロビーに置いて有った現地の観光パンフレットを入手しました。
さくら市教育委員会事務局生涯学習課発行の「さくら市奥州道中マップ」の中に、喜連川宿付近の絵図を手に、街中を散策しました。それらの資料を基に喜連川宿周辺概略図を作成しました。
喜連川周辺概略図.jpg
(奥州街道喜連川宿周辺概略図)
 ※上概略図中に記した道路は喜連川市街地に繋がる国道・県道で、色分けして表示しています。
   ・オレンジ:国道293号
   ・ピンク:県道74号(塩谷喜連川線)
   ・みどり:県道114号(佐久山喜連川線)
   ・きみどり:県道167号(蛭田喜連川線)
   ・ちゃいろ:県道180号(蒲須坂喜連川線)
     台町交差点から本町交差点の間は、みどり(県道114号)とピンク(県道74号)の重複区間。

宇都宮にて日光街道から分かれた奥州街道は、白沢宿、氏家宿を経て、ここ喜連川宿に至ります。
喜連川宿は概略図のように、南側を荒川が東流し、北から東側を流れる内川とが合流する内側に有り、西側からは喜連川丘陵から続く小丘が半島状に突き出た舌状大地の先端に位置しています。
現在お丸山公園展望台付近の標高は194メートルで、商店街からの比高はおおよそ50メートル程となっています。
奥州街道は概略図に赤色で記しました。ひとつ前の氏家宿からは、概略図左下の弥五郎坂を越えて荒川の右岸に出、荒川に架けられた「連城橋」を渡ると、喜連川宿に入ります。現在橋を渡る手前の交差点の南東側角に、昔の道標が残っています。
南の道標1.jpg南の道標2.jpg
(荒川に架かる連城橋南側交差点脇に建つ道標)
道標には「右江戸道、左下妻道」と刻されています。

連城橋1.jpg連城橋2.jpg
(喜連川宿の南側の入口、荒川に架かる「連城橋」、左奥に喜連川スカイタワーを望む)

喜連川宿内の街道は大きく左にカーブするようにして北上しています。
旧奥州街道1.jpg旧奥州街道2.jpg
(喜連川宿を通る街道は左に大きくカーブしています)
街の中ほどのに丁字路状の本町交差点が有ります。奥州街道に東(馬頭)方向からの道路が突き当たります。その突き当たった所に今回訪れた目的の「喜連川町道路元標」が建っているのを見つけました。
喜連川町道路元標2.jpg喜連川町道路元標1.jpg
(本町丁字路の突き当たった所に道路元標が) (「喜連川町道路元標」の文字が読めます)

1970年に指定された国道293号のルートは、1976年7月21日に喜連川バイパスが開通する以前は、弥五郎新道路から「連城橋」を渡り喜連川の街中を走り、先ほどの本町丁字路を右折東進し、内川に架かる「旭橋」を渡って鍬柄坂へと抜けていたようです。

奥州街道はこの本町丁字路を直進北上、仲町交差点も直進、ここから道路は右方向にカーブし、台町交差点に至ります。この交差点の北西側角にも又、江戸時代の道標が建っています。
北の道標1.jpg北の道標2.jpg
(台町交差点北西角に建つ道標)
道標には「右奥州海道、左在郷道」と刻されています。

かつての奥州街道は、この台町交差点の所で右折して狭い道に入り東側の裏通りを北上して行き、内川に架かる「金竜橋」を渡って、次の宿場「佐久山宿」へ向かいます。

一方ここ喜連川は宿場町と同時に、喜連川氏の城下町でもありましたので、喜連川館の有った街道の西側裏通りには武家屋敷の名残を残す、「寒竹囲」の生垣の家や「御用堀」が今も見る事が出来ます。
寒竹囲.jpg御用堀.jpg
(「寒竹囲」の生垣が残る)          (武家屋敷だった横町付近の「御用堀」)

御用堀は整備が成され、澄んだ水の流れを透して、大きな鯉がゆうゆうと泳いでいました。もっとゆっくり街の中を散策して見て回りたかった喜連川を後に家路につきました。

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チョッと足を伸ばして、群馬県草津温泉へそして千葉県銚子犬吠崎へ [マンホールカード]

長い長い10連休が終わりました。
この機会を利用して、帰省して来た息子に運転をさせ、普段はチョッと足が向かない遠方のマンホールカードを手に入れようと計画をしました。
まずは関東地方の北西の端、群馬県草津温泉にて配布しているカードを。その行き帰りを利用して、渋川市・沼田市そしてみどり市のマンホールカードもゲットして、これまで収集したカードを合わせ、群馬県発行の12枚全てのマンホールカードを手に入れることになります。
5月2日、栃木から北関東自動車道を西に走り、関越自動車道を北上、渋川伊香保インターチェンジで高速道を下りる。ここで早速渋滞に巻き込まれインター出口1キロメートルに30分間も掛かってしまいました。
高速出口の渋滞1.jpg高速出口の渋滞2.jpg
(関越自動車道渋川伊香保インターチェンジ出口付近で渋滞の列へ)

やっとの思いで料金所を通過して一般道を渋川駅前のカード配布所へ。
まずは1枚ゲット。そこで現物のマンホール蓋の設置場所まで渋川の町を歩き、それも無事写真に収めました。
渋川市マンホールカード.jpg渋川市マンホール蓋.jpg日本の臍中心標.jpg
(渋川市マンホールカード) (日本のへそ中心標近くに設置されたカラーマンホール蓋)

次は草津温泉へ山道をひた走り、途中何カ所かの渋滞にはまりながらもなんとか草津温泉へ。ところがここで大きな失敗を、カーナビの目的地をカード配布場所にセットした為、車で草津温泉のど真ん中湯畑に入り込んでしまい、連休で賑わう人ごみの中を、駐車場を求めて右往左往。観光客で溢れる狭い温泉街を何とか抜けて目的のマンホールカードをゲット出来ました。
草津町マンホールカード.jpg草津町マンホール蓋.jpg草津温泉湯畑.jpg
(草津町マンホールカード)(草津温泉湯畑脇の道路に設置されているカラーマンホール蓋)

帰路は沼田市へ向かい3枚目のカードを入手。配布所の有る沼田城址公園には、黄色や赤色などの色鮮やかなチューリップの花が5月の陽光を浴びて咲き誇っていました。
沼田市マンホールカード.jpg沼田市マンホール蓋.jpg沼田城址公園.jpg
(沼田市マンホールカード)(チューリップ咲く花壇の奥に真田信之と小松姫の像が建つ)

この日最後はみどり市、これまでの3カ所は観光案内所等の観光関連施設が配布場所になっていましたが、こちらはみどり市役所大間々市民生活課窓口です。マンホールカードの配布場所は大きく分けると、役所の下水道関係部署とその自治体等の観光案内施設が有り、観光施設はその目的から普通に休日も対応してくれていますが、多くの下水道関係施設は休日等は配布しない所が、マンホールカードが配布を始めた当初は多かったのですが。最近はマンホールカードの認知度も上がり、コレクターが増えた為か、役所関係でも守衛室窓口で配布をして下さる所も多くなってきています。コレクターとしてはうれしい限りです。
みどり市マンホールカード.jpgみどり市マンホール蓋.jpgみどり市.jpg
(みどり市マンホールカード)(市の花や鳥をデザイン化した色鮮やかなマンホール蓋)

5月4日、今度は方向を東に、これまでなかなか行けなかった千葉県銚子市を目指すことに。
栃木から北関東道路を東、水戸方向へ途中茨城空港へ進み鉾田インターチェンジで一般道へ、銚子へ向かう途中霞が浦沿いの行方市でこの日最初のマンホールカードをゲットしました。
行方市マンホールカード.jpg行方市マンホール蓋.jpg霞ケ浦.jpg
(行方市マンホールカード)(配布所の施設は霞ケ浦の岸辺に有りました)

霞ケ浦南東部の行方市から潮来市を抜け、利根川左岸を河口に向けて車を進める。河口近くの利根川に架かる銚子大橋を渡り、利根川右岸千葉県銚子市に入ります。JR銚子駅近くの駐車場に車を止め、駅構内の配布所にて目的のカードをゲット。その後カラーマンホール蓋を求めて街中を散策、しかし発見できず。銚子市役所内に展示してあったマンホール蓋を写真に収める。
銚子市マンホールカード.jpg銚子市マンホール蓋.jpg銚子駅前.jpg
(銚子市マンホールカード)(帰路途中で発見した歩道設置の蓋)(銚子駅前の様子)

せっかくここまで来たので近くの犬吠埼灯台を見に行くことに。
この日は途中走った北関東自動車道や一般道路も渋滞に遭遇することなく来られたが、さすがに犬吠崎灯台への道路は駐車場に入る車で行列を成しています。しかしここはジッと我慢、駐車場が空くのを待って無事車を止めることが出来、いざ目的の灯台に登ることに。入口のチケット売り場では閉門4時を過ぎていましたが観光客がまだまだ訪れるので受け入れて貰えました。
犬吠崎燈台.jpg太平洋.jpg
(白亜の犬吠崎灯台) (太平洋に突き出た犬吠崎、前面に太平洋が広がっている)
灯台の上に登る狭い螺旋階段は、下りる人と登る人とがやっとすれ違う状態、やっとの思いで灯台の上に出て太平洋を望むことが出来ました。

ここまで予想以上に時間を費やしてしまった為、帰路に計画していた取手市はあきらめて、一路自宅に戻ることにしました。
令和元年5月4日の夕陽.jpg
(帰路の途中、燃えるような太陽が前方に望まれました)

翌日、取手市と野田市のマンホールカードもゲット、これで群馬県と茨城県は100%収集。しかし地元栃木県は残りの1枚がまだ採れていません。その1枚は日光市中禅寺湖畔が配布所の為、冬場は道路の積雪が不安ですし、この連休中は絶対的に渋滞が予想できたため、行くことを控えていました。今後収集することにします。

その結果、この連休中は合わせて10枚のマンホールカードをゲット、これで手持ちのカードは120枚をこえました。
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