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太平山神社の涼風祭が行われました。 [祭]

今日、午前中に太平山山上の太平山神社、真夏の祭事「涼風祭」に行って来ました。
今日も太平山神社境内には、真夏の太陽が照り付け、木陰を探して祭りの始まるのを待ちました。
朝から太平山神社には、参拝客やハイキングに向かう人達が、家族連れやグループ連れで訪れています。
涼風祭は、氏子の人達が手造りした大きな団扇にて、本殿や境内社に風を送った後、栃木の街に向かって、この大団扇であおぎ、涼風を送る祭事です。
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(太平山神社本殿に向け、大団扇で風を送ります。)
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(境内に祀られている他の神社にも、一社一社涼風を送ります。)
丁度参拝に訪れた人達は、大団扇であおいで頂き、気持ちの良い風を受けていました。
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祭の後、大団扇に参拝者が、それぞれの願い事を書きつけた短冊を、貼り付けていました。
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太平山の山上より、涼風を送られた栃木の街、少し涼しくなったでしょうか。

私が太平山神社の涼風祭と言う祭事を知ったのは、今から30年以上前に成ります。
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その頃は境内に売店が設けられ、涼を求めて来た人が溢れていました。
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栃木市旭町神明宮の神幸祭を見て来ました。 [祭]

夕方6時、まだ昼間の熱気が残る中、前から楽しみにしていた神明宮の神幸祭を見に出かけました。昼間のバーベキューで満幅状態の為、歩いて行くことにしました。
家の外に出ると、遠くから祭り囃子の太鼓の音が聞こえています。自然に歩きが早くなるのを感じます。
万町交番前から大通りに出ます。すでに交通規制が行われて、大通りは車がシャットアウトされています。太鼓の音を目がけて行くと、丁度御神輿に飾り付けられた弓張提灯に灯を燈す作業が行われている所でした。
色とりどりの法被を着た担ぎ手が暫しの休憩をしています。
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7時を過ぎてやっと陽が西の山に隠れると、御神輿や山車に飾り付けられた提灯が夜空に浮かび上がってきます。担ぎ手の威勢の良い掛け声が飛び合います。
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囃子連の調子も一層盛り上がってきます。
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御神輿を担いでいる人も、周りで観ている人たちも笑顔が溢れています。
やはりお祭りは良いものです、皆を元気にしてくれます。
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うずま川行灯まつりを見て来ました。 [祭]

台風11号の余波による風雨が、今日も夕方近くまで残っていましたが、太陽が西の山に隠れる頃は雲も切れて夕日が眩しく輝いてました。雨の心配も無くなったので、夜に成ってから巴波川河畔にて開催されている、「うずま川行灯まつり」を見に行って来ました。
この祭りは、蔵の街の夏の新たな風物詩として、昨年から始まりました。行灯の光りに浮かび上がるのは、「川島雅舟」氏の作品で、栃木市にゆかりのある慈覚大師となられた円仁さんや、太平山神社・神明宮などを切り絵で描いたものです。
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(円仁さんが故郷に帰る渡し船を待っている所でしょうか?)(太平山神社本殿)
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(元栃木市役所別館と元栃木県庁堀漕渠)         (第二公園からの神明宮本殿)
川島雅舟氏は、元岩舟町石の資料館の館長をされていた、故川島健三郎氏です。

行灯の明かりが巴波川の川面に浮かんでいました。
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(常盤橋東詰付近より撮影、対岸は横山郷土館)
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(倭橋の橋上より撮影、奥に見える橋は「幸来橋」)
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(幸来橋の橋上より撮影、巴波川左岸は塚田歴史伝説館)
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(巴波川橋の橋上より撮影、バックは塚田歴史伝説館)
この「うずま川行灯まつり」は8月31日まで行われています。尚、同じ巴波川幸来橋付近では、8月2日(日曜日)夜7時より、最大のイベント「百八灯流し」が行われます。
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(2013年に撮影をした「巴波川百八灯流し」の様子です)

精勝祭の思い出 [祭]

今から36年前の丁度今日、1979年7月8日太平山神社に伝わっている「精勝祭」(せっかちさい)と言う祭が、90年ぶりに復活しました。この祭りは下都賀地方の89ヶ村42郷を3日間で、神輿が渡御したと言われていましたが、明治の中頃にすたれてしまいました。太平山神社ではその年、360年に1度の大祭「御開扉」(ごかいひ)が行われるのをきっかけに「精勝祭」を復活させたのでした。
太平山神社の古い記録をたどると、この祭りは中世以降から始まり、旧暦の6月23日から25日まで行われました。神社を出発した神輿は、旧栃木市内、下都賀郡、小山市の一部を各地の若者達によってかつがれ、3日間で131村郷をあわただしく回る事から、名称も「せっかちさい」と言われるようになったとの事です。
そして、36年前の今日、栃木県内の夏祭りのトップを切って行われたのでした。
当日は天狗を先頭に、御神馬、大提灯、神輿、お囃子などの大行列が午前9時に太平山中腹の国学院栃木高校グラウンドを出発、栃木の旧市内を練り歩き、夜になると松明の明かりに導かれて、古式ゆかしく太平山神社に戻りました。
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(精勝祭に渡御をした御神輿)           (渡御の列の先頭を行く天狗)
今、私の手元に1冊のアルバムが残っています。あの日私は90年ぶりに復活した祭りを撮影する為、1日中祭りに付いて、時には先回りをしながら、祭りの様子を写真に収めました。
アルバムを開いていきます。最初のページにはその時の宣伝用チラシから切り取った「精勝祭」の説明文が貼られていました。
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(私の手元に有る精勝祭のアルバムの一頁)
永野川に架かる「二杉橋」を9時25分に通過。神輿の担ぎ手は「太組」「平組」「山組」の三つの組に分かれて、ローテーションをして担ぎました。最初の交代はこの「二杉橋」の上で行われました。
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(二杉橋を渡る渡御の列)
9時35分に栃木バイパス道を渡って栃木商業学校前へ。私はここで交差点の歩道橋の上から神輿渡御の列を狙いました。神輿を上から見ては本来駄目なのですが、神輿を担ぐ様子や、担ぎ手が羽織る色とりどりの法被の群れを高いアングルから撮影したかったのです。
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(太平山をバックに栃木バイパス道を横断する渡御の列)
渡御の列は栃女高入口交差点を左に曲り箱森町方面へ。私は箱森地内で水田越しに神輿渡御の列を狙った。その昔の渡御は恐らく田畑の中を進んだはず、しかし36年前当時でも渡御ルートの中で田畑が見える所は限られていました。私は事前確認でそのポイントを見付けていました。
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(箱森町の水田地帯を行く御神輿)
その後神輿は栃木の市街地に入り、錦町・嘉右衛門町・大町を回って、大通りに出て、平柳町1丁目に有った丸栄ドライブインにて昼食休憩となった。
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(昼の休憩時間に繰り広げられたお囃子連の共演)
午後1時から渡御は再開され、1時35分頃に万町交番前に。これから交通規制で車の姿が消えた大通りへと入って行くのでしたが、このころから雨がポツリポツリと落ち始めていました。
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(万町交番前で御神輿を力強く差し上げる)
そして、現在の栃木市役所の前辺りに来た頃には、雨はドシャ降り状態になりましたが、神輿の担ぎ手はその雨にまるで力水を受けた様に、更に威勢よく神輿を担いでおりました。その当時大通りの歩道部分にはアーケードが有りましたので、私はそこから雨の中を進む神輿を撮り続けました。
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(ドシャ降りの雨の中走り出す)     (ずぶぬれで御神輿を差し上げる担ぎ手)
銀座通りでは各組の担ぎ手が後退して神輿を担ぎ盛り上がりを見せました。
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4時50分頃には神輿は栃木駅前に有りましたが、この頃には雨もすっかり上がっていました。
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ミツワ通りを抜けて巴波川に架かる「幸来橋」の東詰に来たところで夕食休憩を行い、6時30分に出発。
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(6時30分、巴波川に架かる「幸来橋」を渡る渡御の列)
湊町、祝町から真直ぐ太平山に向かって渡御の列は進んできます。午後8時40分には朝の出発地国学院栃木高校前を通過。暗くなってきて、松明に火が付けられ、松明の明かりに先導された神輿は太平山神社を目指して山道を登って行きます。
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(松明の明かりに先導されて、太平山を登る御神輿)
謙信平の土産物店の前を通過し、隨神門前を通過、見晴台から神社前に到着しました。
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(隨神門前では多くのカメラマンが待ち構え、ストロボがたかれ御神輿が浮かび上がる)
太平山神社の前で、御神輿がおろされ、手締めが有って、現代的に実行委員長の胴上げが始まり、そして境内に参集した人達にもお赤飯や御神酒が振舞われました。
現在、あの時渡御をした神輿は星宮神社の祭壇向かって左脇に収められております。又いつの日か復活する日を待って。
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夏祭りの季節です [祭]

今日から7月です。早い物で2015年も半分が過ぎてしまいました。
この時期になると、週末の夕方外に出ると、遠くから祭囃子の太鼓の音が聞こえてきます。夏祭りの囃子方の練習が始まっているのです。秋祭りの神田囃子とは違う、大杉囃子。神田囃子の構成(大太鼓1、小太鼓2、鉦1、笛1の5人)に加えて鼓(大皮・小皮)大勢が演奏する。囃子連によって大太鼓が複数使用される。神田囃子のリズミカルな派手な調子と比較すると、大杉囃子は少し泥臭い庶民的な懐かしい感じがするのは私だけでしょうか。
神田囃子は栃木秋祭りの人形山車の正面に囃子連が陣取り、華やかに演奏されています。聞き手は山車の周りで下から見上げて鑑賞する形になります。一方、栃木の夏祭りで御神輿の後を造花や提灯等で飾った山車に大太鼓・小太鼓をセットして、その周りで鉦や笛、鼓の演奏者が回りながら演奏する。聞き手も同じ目線で鑑賞する。そんな所により身近に感じられるのかもしれません。
私も若い頃お囃子に魅せられて、小山市の小薬方面まで、お囃子の練習風景を見に行った事も有りました。秋祭りの神田囃子も大好きで、人形山車に付いて歩いてずっと聞いた事も有ります。最近は栃木の秋祭りは観客が増えてしまい、なかなかゆっくり鑑賞できなくなりましたが、この祭りの賑わいも悪くは有りません。
もう20年以上前の事ですが、栃木神明宮の夏祭りで、あの大きな御神輿をかつがせて頂いた経験も有ります。
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(私が初めて担がせて頂いた、平成4年7月の神明宮枝社須賀神社神幸祭の様子)
その当時は旧市内の5ヶ町(倭町・万町・室町・旭町・旭町五丁目だったと思います)を巡行していました。午前中から担ぎ手も交代しながら、一日掛かりで各町内を巡るのですが、ともかく重い御神輿です。昼間は担ぎ手も手薄で、交代しても又すぐ担がなければなりません。
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御神輿の重さに次第に腰が折れて来て、御神輿が沈んできてしまいます。進行係りから「しっかり担げ、御神輿を上げろ」と何度も発破を掛けられたものです。祭りの後しばらくの間、肩と胸が痛かった想いが有ります。
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それでも、夜になると担ぎ手も増えて、今度はなかなか御神輿のとんぼに集れなくなります。夜になると観客も増えて、祭りは最高に盛り上がって来るからです。
今年も又、7月26日(日曜日)、栃木市神明宮枝社須賀神社の神幸祭が行われます。街角に祭りのポスターを見かけました。最近は御神輿の渡御は夕方の5時からの様です。
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(平成25年7月の御神輿渡御の様子)
又、威勢の良い担ぎ手の掛け声や、お囃子の音を早く聞きたく、今から浮き浮きして来ます。

太平山あじさいまつりに行って来ました。 [祭]

今日、天気もそこそこ良かったので、早めに太平山に出かけました。
太平山神社の表参道、あじさい坂で開催されているあじさいまつりを見る為です。車で表参道六角堂前の市営駐車場まで行き、そこから歩いてあじさい坂を上り、太平山神社まで行って、参拝して戻って来るコースです。
六角堂前の「あじさい坂」登り口は、今色とりどりのあじさいの花が満開になっていました。朝9時でまだ人はまばらでした。
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私の前で、三脚に一眼レフカメラ、接写レンズという、完全武装でアジサイの花を撮っているのは、私より高齢と思われる御婦人です、「良い写真撮れますか」と声を掛けると「チョッと来るのが遅かったか、花の勢いが無いですね。」と言われる。
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花の撮影でも風景でも、自然を相手に撮影する事は大変です。一日の中でも、朝と昼では光の入り方も変わります。ですから満足出来る写真はなかなか撮れません。
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ゆっくり花を観察しながら、神社への坂を登って行きます。途中、坂の右手に入った所、「窟神社」と記した石の鳥居の奥に、今流行のパワースポットと言う、「太平山弁財天窟」が有ります。洞窟は沢水が溜まっているのか、奥の水面に石の祠が一つ祀られています。洞窟の入り口脇に弁財天の石像、アジサイの花が手向けられています。
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坂に戻り、又神社に向けて登って行きます。10時近くなってくると観光客の数も増えて来ました。
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左手に朱塗りの神橋が現れます。かなり傷んで一部高欄が落ちています。ご神木の千年杉の横を通って、いよいよ石の階段に変わります。ゆっくり休みながら登ります。石の階段を登る事、約20分で太平山神社の前に到着。
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久しぶりの参拝になります。少し体を休め、又今来た道を戻りました。
帰りに六角堂前の土産物店によって、六百円のだんごを買って帰宅の途に就きました。

ホタル祭りへ [祭]

この間の週末は、ホタルを見に出かけました。
栃木市内でも、岩舟町と都賀町にてホタル祭りが開催されていました。
私は混む所が苦手なので、祭りの前日に出かけて行きました。場所は都賀町大柿の逆川流域、旧国道293号線に架かる「逆川橋」。時間は夜の8時、すっかり辺りは暗くなっていました。近くの道路脇に数台の車が駐車しています。私と同じように祭の日を前に、ホタルを見に来た人達です。私も近くの駐車場に車を停めて、川沿いの道に行きます。
殆んど真っ暗で光が見えません。ジッと川面の方に目を凝らしていると、ポッと小さな光が目に入って来ました。ホタルがいました。小さな光が点滅しています。すると別の所からもポッ・・・・ポッと点滅しています。
その光がスーッと移動を始めました。暗闇の中を小さな光が浮き上がります。ホタルが飛んでいるのです。宙を舞う小さな光の動きを目で追い続けました。それでも、その光は多く群れる事は有りません。
今では家の近くでホタルを見る事は出来ませんが、子供の頃はよく飛んでいました。ホタルを捕まえて来ては、部屋に蚊帳を吊って飛ばして遊んだ記憶がよみがえります。
昔は巴波川でも、ホタルの群れがいたる所で見られたと言います。巴波川のずーっと下流、小山市上泉に蛍橋と名付けられた橋が架かっています。蛍橋は、旧部屋街道が巴波川を渡る場所に架かっています。私の若い頃は、オートバイに乗って、沼和田町から大平町の上高島や下高島を抜けて、藤岡町の部屋や新波方面に行くときは、必ずこの橋を渡ったものです。旧国道50号線(現在は県道36号線)を過ぎると直ぐに、この蛍橋の西詰に出ます。この辺は「本澤河岸」が有った所で、蛍橋も以前は「本澤橋」と言っていたようです。それが、この界隈に蛍が沢山飛ぶようになって賑わったので、木橋からコンクリート橋に架け替えた時に、「蛍橋」と変更したと云われます。今も橋の西詰には昔と変わらぬ土蔵造りの有る商店が有ります。
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(蛍橋の東詰より。川向うに建つ青木商店が以前の面影を残してくれます)
現在の橋は昭和九年に架け替えられたもので、すでに80年以上経っています。ドッシリとした感じの有る高欄ですが、一部親柱は破損して無くなっています。
江戸時代後期から昭和の初期まで蛍の名所として栄えた蛍橋界隈も、河川の大改修や農薬散布等によってすっかり蛍も飛ばなくなってしまったのでした。
現在は上流側に「新蛍橋」が、新しく通った県道153号線(南小林栃木線)に架橋され、私も殆んど旧道の蛍橋は通行しなくなりました。
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(新蛍橋の親柱)    (新蛍橋の上から下流の蛍橋を望む。この巴波川の川面にかっては・・・)
結局、私は蛍の写真を何とか撮りたいと、土曜・日曜とホタル祭り会場に出かけましたが、今度は大勢の人が押し掛けていて、蛍より見物する人間の方が多く、ホタルもびっくりして影を潜めている様でした。
私の写真テクニックでは、ホタルのほのかな光を撮影する事は不可能でした。
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(暗闇にかすかにホタルの輝跡が)

懐かしい子供の頃の栃木の街にタイムスリップしたような [祭]

昨日と今日の2日間、「栃木・蔵の街かど映画祭」が開催されました。
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(大通り倭町の会場「中田蔵」の様子)     (巴波川べりに建つ「横山郷土館」)
1日目は時々小雨がぱらつく、曇り空でしたが、街中を歩くには暑くならず丁度良かったのかも。2日目は青空が広がる快晴、少し風が強い分湿度は低く、しのぎ易い天候になりました。
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(アニメ映画を上映した「かな半旅館」や、若手映画監督作品を上映した「山本有三ふるさと記念館」が並ぶ)
映画祭での私のお目当ては、1959年製作の「六人姉妹」と言う、東映児童映画の一作です。この映画は全編を栃木の街にて撮影が行われ、「栃木市教育委員会」と「栃木市立第三小学校」とが協力しています。
スクリーンに映し出される風景は、懐かしい栃木の街並です。巴波川の川岸や第三小学校の校庭、幸来橋の界隈や銀座通りなどが、次から次へと目の中に飛び込んできます。

物語は会社勤めの父親と専業主婦の母、そして大学進学を希望する長女を筆頭に、女ばかりの六人姉妹の、門構えや玄関の有る二階建ての、チョッと裕福そうな家庭。
親と子、姉妹間の愛情あふれ、歌声が溢れている、明るいホームドラマです。
何時しか物語に引き込まれ、何故か自然と目頭が熱くなるのを感じました。
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(名作「ローマの休日」が無料上映された、旧市役所別館)
上映された劇場は、大通りに面した万町の「太田蔵」です。築109年になる明治後期の蔵造の建物です。それほど広くない室内の為、上映開始前には満席となってしまい、入場が打ち止めとなるほどの盛況ぶりです。若い方も混じっていましたが、多くは私と同じ世代の人達で、子供の頃の自分とラップする映像に、昔を懐かしんでいました。
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(初日に栃木高校講堂で行われたオープニングセレモニー)     (アフリカ音楽演奏家のモモさんと踊るとち介)
この映画祭では、栃木市街地に有る多くの有形文化財となる建物等12か所を会場として、今年は全国から一般の人が監督となって製作された79作品の応募が有り、審査で選ばれた36作品も上映されていました。
懐かしい作品を鑑賞したり、若手監督の作品を観賞したりして、楽しい時間を過ごしました。
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(メイン会場となった、国登録有形文化財の栃木高校講堂)    (講堂入口で記念撮影するとち介)

春の花火を堪能しました [祭]

今日、「ツインリンクもてぎ」にて開催された「花火の祭典:春」を見に行って来ました。
今年のゴールデンウィークは、今までの所連日天候に恵まれ、真夏の様な暑さが続いています。
今日も朝から良く晴れ、車も窓を全開にして走ると、心地よかったです。
打ち上げ開始が午後7時30分でしたが、余裕を持って3時前に出発をしました。途中益子町を通過しましたが、対向車線は「益子の春の陶器市」帰りの車で、大渋滞をしていました。「道の駅もてぎ」でトイレ休憩をしようと考えていましたが、どっこいこちらも駐車場は満車状態で、やむなくパス。「ツインリンクもてぎ」に直行する事となりました。
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会場では、フードコートや土産店で時間をつぶしました。日が暮れると、急に空気が冷えて、吹く風が冷たく感じて来ました。まくり上げていた袖を下ろしましたが、上に羽織るものを持たずに来た事を少し後悔しました。

温かい山菜ソバを食べ、ひたすら開始時間を待ちます。時間が迫るうちに、周りの観覧席も、人で埋まった来ました。場内の照明が消され、一瞬辺りが闇となり、いよいよ花火の打ち上げが開始されました。
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目の前で、夜空高く大輪の花が次から次と開いては、闇の中に消えて行きます。花火が開いた次の瞬間、腹の奥まで「ドズズン」と、花火の音が突き刺さってきます。
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後から後から打ち上げられる花火、会場から歓声が溢れます。あっという間の30分間でしたが、いつの間にか寒さは興奮で、どこかに吹き飛んでいました。
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春の花火を、体全体で堪能しました。

巴波川にて流し雛 [祭]

朝から風も無く、暖かで穏やかな一日になりました。
ウォーキングを兼ねて栃木の街中で開催されている「あそ雛まつり」の様子を見に行きました。
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最近は色んな町で雛祭りに合わせて、色々イベントを企画しています。お隣の茨城県桜川市の「真壁のひなまつり」は今年で13回目を迎えています。私も今年は早々と2月9日に行って来ました。(ブログで紹介済)
栃木市の「あそ雛まつり」も今年で第8回という事で、すっかり年間行事として定着しています。
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今日は巴波川にて「流し雛」も催されるという事で、時間に合わせて会場となる「横山郷土館」前に向かいました。
「流し雛」は参加者が前もって折り紙等で作った物を、神明宮にてお祓いをして頂き、川に流します。「流し雛」にはそれぞれの願いも書かれています。「家族みんなが元気で仲良く・・・」とか、「1年間健康で過ごせましように・・・」とか。
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巴波川の川面に浮かんで流れる「流し雛」を撮影して、思っていた以上に川の流れの速いのに驚きました。初めは巴波川の左岸、横山郷土館の対岸から狙いましたが、望遠では「流し雛」があっという間にファインダーから外れてしまって、思うように捉えられません。そこで下流の「倭橋」の上に移動して、流れてくる所を迎え撃つ方法に変更しました。
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「流し雛」が終了した後は又、大通りに戻ってお雛様を見て回りました。
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「お内裏様」に「三人官女」「五人囃子」等の人形を見ていると、ふと、子供の頃我が家での雛祭りの思い出がよみがえってきます。大きな箱に入っている人形達を箱からだし段飾りに並べます。それぞれの人形さんの持ち物を持たせます。お内裏様の御殿様とお姫様どちらが右か左か良く姉と喧嘩したものです。私が一番楽しみにしていたのは、お内裏様を入れる御殿を組み立てる時です。年に1回なのでこれも一苦労でした。
その人形達もいつの日か処分されてしまってました。
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そんな遠い昔を思い出しながら、見て歩きました。